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【みんな生きている】日比谷公会堂(16)古賀俊昭編

古賀俊昭(東京都議会議員拉致問題地方議会全国協議会副会長)


■我が国は領海や国民同胞を守る姿勢には甚だ決意が欠けている

私たち地方議連は、地方議会全国協議会の発足前、有志で平成9年から、家族会の結成直後から活動を始めました。
平成14年10月7日に、小泉訪朝を受けて、中央区日本橋公会堂で「北朝鮮糾弾集会」を行い、その場に増元照明・家族会事務局長にもご参加いただいて、この時、拉致問題の象徴とするためにブルーリボン運動を提唱しました。青い海で隔てられているけれども、拉致被害者と我々同胞は青い空でつながっている。一日も早い解決を願って、切込みを入れて、このブルーリボンバッジを作り、ブルーリボン運動を開始したわけです。
当時は、ほとんどの皆さんが付けてくださらなかったわけですが、このブルーリボン運動が燎原の火のごとく広がり、この拉致問題解決のための運動の象徴として皆様方に付けていただいていることを、地方議員の提案で始めた運動でありますだけに、誇りに思うところです。
先ほど安倍首相からお話がありました。私は今の安倍内閣安倍外交に大変大きな期待を寄せています。49か国を廻り、歴代総理では第一位の数だそうですが、しかしその中に韓国と中国との首脳会談は入っていない。これこそ日本外交の真髄を示すものだと私は思います。
日韓と日中は関係が冷え込んでいるのではなく、今私は正常だと思います。この状態を北朝鮮はどう見ているか。今度の首相はただ人気取りだけで拉致問題に取り組んでいるのではない。やはり信念を持って、保守の哲学を持って、国家主権に関わる問題としてこの拉致問題を解決しようとする意志を持っているという判断をするはずです。
私は、この安倍首相の姿勢があるからこそ、この内閣で解決することに大きな期待を寄せるものです。
拉致問題は長い間放置されてきました。しかし、拉致事件をまたたく間に解決した国が実際にあります。
今日お集まりのみなさんはご存じだと思いますが、昭和53年に、中東の小国と言っては失礼ですが、人口440万人のレバノンから北朝鮮若い女性4人を、「日本にいい仕事がある」と言って拉致しました。
2人は自力で脱出しましたが、このレバノンは国家の意思を示すことによって、「重大な決意をする」と言って、2名を取り返したのです。わずか1年4か月。レバノンにできることがなぜ日本にできないのか。
横田めぐみさんは13歳で拉致されて37年、今年50歳になります。これだけの年月が流れているわけです。私はレバノンを見習うべきだと思います。国家が「重大な決意」をすればいいわけです。つまり我々はそのことを怠ってきた。戦後の歴史に断絶があると思います。
もう1つはパラオという国です。パラオは平成24年時点で人口2万人の南太平洋の国です。領海侵犯をした中国の漁船に警告を発し、退去しないため銃撃を加えて、船員を逮捕しました。
中国の漁船は自ら火をつけて航行不能となりましたが、一人当たり1,000ドルの罰金を課し、17時間拘留して、領海侵犯を認めさせて返しました。パラオは人口2万の国です。
これだけのことをやっている国があるにも関わらず、我が国の、領海や国民同胞を守る姿勢には甚だ決意が欠けていると言わざるをえません。
是非みなさん、拉致事件は文世光事件などをきちんと処理をしていれば、拉致問題を解決する機会はたくさんありました。しかし、歴代の内閣はこのことを見送ってきたわけです。戦後の大きな外交の闇に、この拉致問題を通してメスを入れていく。そのためには、幸い朝鮮総連の議長が今日本を離れたわけですので、これは制裁を解除して再入国許可をとっていたわけですが、もし拉致被害者を返さないということであれば、この再入国を取り消せばいいわけです。
そのくらいの外交姿勢を示すことによって、日本の戦後最大の課題である拉致問題は安倍政権のもとで解決すると思います。是非、皆様には地方議会の取り組みにもご理解をいただき、これから心を一つにしてご支援を賜りたいと思います。
なお、東京都は9月12日から9月19日金曜日まで、拉致問題解決のために庁舎のライトアップを行っています。今副知事のご紹介もありましたが、知事部局は大変熱心に取り組んでいます。東京にいらっしゃった方でお時間のある方は、是非拉致問題に取り組む東京都の姿勢をそこに見ていただければと思います。
どうも皆さんありがとうございました。



《特定失踪者・馬場昌一さんについて》
◆氏名:馬場 昌一
(ばばまさかず)
◆失踪年月日:昭和39(1964)年6月4日
◆生年月日:昭和19(1944)年12月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆身長:165cmくらい
◆体重:60kg
◆当時の身分:大学2年生(機械科)
◆失踪場所:東京都日野市の自宅から出たまま

【失踪状況】
失踪当日朝、両親とは顔を合わせている。そのまま行方がわからなくなった。
姉に「新宿でアルバイトがある」と話していた。
お金も衣類も持ち出した様子はない。

《特定失踪者・上田俊二さんについて》
◆氏名:上田 俊二
(うえだしゅんじ)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年7月14日
◆生年月日:昭和6(1931)年11月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:49歳
◆身長:174cm
◆当時の身分:翻訳業
◆特徴:
1)喫煙
2)飲酒
3)趣味はテニス
◆失踪場所:東京都日野市の自宅を出て

【失踪状況】
当日、本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。
通帳、パスポートはそのまま。
失踪後1~2年後に友人宅に差出人不明の金正日キム・ジョンイル)をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。

《特定失踪者・浜崎真嗣さんについて》
◆氏名:浜崎 真嗣
(はまざきまさつぐ)
◆失踪年月日:平成12(2000)年1月6日
◆生年月日:昭和49(1974)年8月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆身長:160cm~161cm
◆体重:51kg~52kg
◆当時の身分:会社員(業務用ビデオの設計)
◆失踪場所:東京都日野市の会社寮

【失踪状況】
失踪当日は会社の新年の始業日。
午前6時から7時にかけて、東京駅のATMで3万円をキャッシング、続いて午後1時半ごろ北海道の銀行で普通預金口座より12万円を引き出した(定期預金には一切手をつけていない)。
当日の朝刊は部屋にあり、布団は敷きっぱなしの状態。食べかけのパンが残っていた。
PHSは置きっぱなしで、書置きもなかった。
ごく普通の服装で出かけ、自転車も置いたまま。
職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。
失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。