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【みんな生きている】京都府特定失踪者編/KBS

《「決着の秋」に向けて!特定失踪者問題調査会京都府の特定失踪者を調査》

北朝鮮による拉致の可能性がある失踪者の家族たちへの聞き取り調査が9月17日、京都市内で行なわれ、家族たちは「早く帰ってきてほしい」と涙ながらに訴えました。
これは、失踪者の救出を目指す民間団体・特定失踪者問題調査会(調査会)が、全国を回って被害者家族たちから聞き取り調査を行っているものです。
現在、日本政府が認定している拉致被害者の数は17人ですが、実際にはそれより多い800人以上が北朝鮮によって拉致された可能性があると指摘されています。
この日は、京都関係の失踪者6人の家族たちに対する聞き取り調査が行なわれ、このうち北区の公園では、失踪当時、立命館大学の学生だった尾方 晃さんと酒井秀俊さんの家族から当時の状況等を聞きました。
家族は、

「79歳の母親が心待ちにしている。何か連絡がほしい」

等と涙ながらに話しました。
調査会によりますと、同じ大学だった尾方さんと酒井さんは、時期は違うものの、住んでいたアパートが一緒だったことや、失踪当時の尾方さんの部屋から北朝鮮に関係した図書も見つかっていて、失踪に北朝鮮が関係している可能性があるのではとしています。
また、調査に同行した拉致被害者家族会の増元照明事務局長は、政府から家族会に対して19日に中間報告が行われるとし、年内の解決を政府に働きかけたいと訴えました。

◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

立命館大学学生失踪案件]
《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》
◆氏名:酒井 秀俊
(さかいひでとし)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?
◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生
◆当時の住所:京都市右京区
◆特徴:
1)中肉中背
2)盲腸の手術跡
◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】
当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と一の宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。
銀行に就職が内定していて、卒論に追われていた。
正月に母や姉の住む山形にも一の宮にも帰省しなかった。
下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。

立命館大学学生失踪案件]
《特定失踪者・尾方 晃さんについて》
◆氏名:尾方 晃
(おがたあきら)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日
◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:168cm
◆体重:65kg
◆当時の身分:立命館大学学生
◆当時の住所:京都市北区
◆特徴:
1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり
2)右手中指第3関節の骨が突起している
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
京都市北区の下宿先から失踪。
直前の正月には郷里の岐阜に帰省した。
その後アルバイト先から実家に「アルバイト代を払いたいが、家へ帰っていないか」と電話。
家族が下宿先に行くと、荷物やお金がそのまま残されていた。
2月13日に預金を引き出した形跡がある。

立命館大学学生失踪案件]
《特定失踪者・渡邊晃佐さんについて》
◆氏名:渡邊 晃佐
(わたなべこうすけ
◆失踪年月日:昭和27(1952)年10月27日
◆生年月日:昭和7(1932)年1月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:163cm
◆体重:56kg
◆当時の身分:立命館大学学生
◆失踪場所:京都府京都市右京区

【失踪状況】
当日自宅を出て行方不明。その後連絡なし。

《特定失踪者・安達恵美子さんについて》
◆氏名:安達 恵美子
(あだちえみこ)
◆失踪年月日:昭和34(1959)年5月4日
◆生年月日:昭和11(1936)年1月10日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆身長:150cmくらい
◆体重:42kg
◆当時の身分:准看護師
◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】
当日職員の慰安旅行だったが自分は行かないと言って病院に残った。
午後2時頃まで寮の部屋にいたことが確認されているがその後は行方不明。
同僚の看護師によると、当日急に旅行に行かないと言ったのに外出用の服装でボストンバックを持っていたという。

《特定失踪者・鈴木清江さんについて》
◆氏名:鈴木 清江
(すずききよえ)
◆失踪年月日:昭和57(1982)年2月5日
◆生年月日:昭和33(1958)年3月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆身長:156cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:会社員(事務職)
◆当時の住所:静岡県袋井市宇刈
◆特徴:丸顔
◆失踪場所:静岡県袋井市

【失踪状況】
車で帰宅途中の清江さんを、別の車に乗った母と妹が見かける。
清江さんの車の前に、男性が追い越すように車を停め、降車して清江さんと話をしている様子だったという。清江さんはそのまま帰らず。
翌朝、道路横の空き地に本人の車が鍵をかけた状態で止まっていた。
バッグはなく、財布と買い物をしたものが残されていた。
失踪する理由は思い当たらない。
警察も調べたが何の結果も出なかった。
昭和51(1976)年3月から54(1979)年3月まで京都西陣で染物屋に勤務していたが、この社長が朝鮮総聯系の大物であり、失踪に関連があるのではないかとの疑惑も持たれている。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。