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【みんな生きている】田口八重子さん(1)/FNN

《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!田口八重子さんの家族がFNNに心境を語る》

横田めぐみさんと北朝鮮で一時、一緒に暮らしていたとされる拉致被害者田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんと、田口八重子さんの長男・飯塚 耕一郎さんがFNNのスーパーニュースに生出演しました。


■1歳で母親を北朝鮮に奪われた耕一郎さん

田口八重子さんは1978年、当時22歳の時に拉致されました。
八重子さんは、幼い子どもを東京・新宿区の施設に預けたまま拉致されて、「日本に帰りたい」と話していたといいます。
その幼い子どもが、耕一郎さん。
当時1歳だった耕一郎さんは、八重子さんの兄の繁雄さんの養子となって、21歳の時に、繁雄さんから打ち明けられるまで、母親が拉致被害者だということを知りませんでした。
耕一郎さんは

「(長いですね?の問いに)そうですね。わたしが今、37歳ですけど、そのうちの36年という月日が流れている。流れた時間、解決がしていないということですから、本当に長いと思います」

と語りました。
繁雄さんは

「(想像を絶する、気が遠くなるような、次に何が起こるか、何が待っているか、わからない時間というのは?の問いに)時間の重みというのは、最近特に感じます。その間、いろいろ救出活動とかやってきましたけど、結果が、なかなか出ないというジレンマ・苦しみの中で、今も闘ってますけれども。全く、この時間の長さ・重み。言ってみれば、被害者・八重子も、人生で一番大事な時期を奪われてしまった。元に戻せないわけですよね。しかも、あまりにも長い時間。これが最近、つくづく感じます」

と語りました。
耕一郎さんは

「(1歳の時に別れて、一番、お母さんに甘えたかった時期を奪われてしまったが?の問いに)わたしは逆に、もともと1歳で記憶がない状態で養子に入りましたから、まだある意味、錯覚じゃないですけど、母親の愛情というのを、今の育ててもらった母親に与えられたわけですけど、逆に、八重子さんの立場であると、母親として接することができなかったことに関しては、わたしの中では、計り知れない苦しみというか、苦悩があるかなと思っています」

と語りました。
繁雄さんは

「(再調査の結果は期待しているか?の問いに)今まで、何も動きがなかったということから比べれば、何か動きそうだなって兆しは感じられます。しかしながら、そういったことに対する期待も大きいですけど、逆に不安も結構あるんですね。これは、北朝鮮が、金正日キム・ジョンイル)が拉致を認めたというところから出発してるんでしょうけど、認めたならば、全てを明白にしてくださいというふうに、あのときはっきりと、そういった事態があって、起こって継続していれば、こんなに長くはかからなかったなと思いますね」

と語りました。
耕一郎さんは

「(何度も翻弄されてきたという思いがあるか?の問いに)何度も翻弄されてきたからこそ、今回の2002年に、5人の方が帰られましたけど、それと同じぐらいのチャンスだと思っていますから、気持ちとして楽観視せずに、ものすごく物事を細かく見て、注視をしていって、決して、帰ってこないという結果にはならないように、われわれは訴えていかなければいけないと考えています」

と語りました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。