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【みんな生きている】福田康夫編/FNN

《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!“幻の再調査”の舞台裏をFNNが独自取材》

9月中にも報告されるとみられる北朝鮮側の再調査。
北朝鮮は、2002年の日・朝首脳会談で、横田めぐみさんや田口八重子さんたち8人は、「死亡している」と日本側に報告しています。
その後、2004年の第2回日・朝首脳会談の時には、「白紙状態で再調査する」としながら、納得のいく説明がなされないまま、以来、一貫して「拉致問題は解決済み」と主張していて、拉致問題はこう着状態にありました。
しかし、この間にも、一度だけ拉致問題が動き出そうとしたことがありました。
それは2008年、福田政権のときに北朝鮮は再調査を表明していました。
この6年前になぜ成果が挙げられなかったのか?
その知られざる経緯が、FNN独自の取材で初めて明らかになりました。


福田康夫首相の対北朝鮮交渉

福田康夫元首相は2007年9月、「今でも、北朝鮮で思いを遂げることなく、まだ、向こうに残っておられる方がいらっしゃるということを聞きますと、これは捨ててはおけません。私は、私の手で、この問題を解決したい」と述べていました。
事態は安倍晋三首相の辞任を受け、首相になった福田康夫首相(当時)のもとで動き始めました。
2008年6月、福田首相は「今回、北朝鮮も今まで『解決済み』としていた拉致問題ですね、これを『解決した』ということは言わないで、『再調査します』と言ったわけです」と述べました。
日・朝の実務者協議を通じ、北朝鮮側からなされた提案。
拉致問題は解決済み」との立場を改めて、再調査を約束するというものでした。
この提案を受け、日本側は、一部制裁解除の方針を決定しました。
2カ月後の8月中旬には、日・朝が再調査実施で正式に合意しました。


中山恭子元担当相が当時を振り返る

福田首相の対話路線で開きかけた拉致問題解決へのドア。
当時、拉致問題担当相だった中山恭子参院議員が、今回、その舞台裏を語りました。
中山元拉致問題担当相は

福田首相からは、(拉致被害者を)必ず取り返すと、強い意志が伝えられていましたし、中国に非常に強いパイプをお持ちだということもあって、そちらも使いながら」

と述べました。
しかし、福田首相の意欲とは裏腹に、再調査は口だけという北朝鮮の腹の内が、さまざまな形で見え始めたと中山氏は話しました。
中山氏は

北朝鮮側から、調査委員会を立ち上げましたという報告は来たと思いますが、日本側は、この調査委員会では、実際に調査するつもりがないだろうということを見極めて、“こんな委員会では駄目だ”と、北朝鮮側に投げ返していた段階だった。8月末の話でした」

と述べました。
中山氏が明かした再調査提案突き返し。
これまで、明らかにされることがなかった、そのくわしい舞台裏が、今回、FNNの独自取材で明らかになりました。
中山氏によると、当時、再調査を行う北朝鮮の調査委員会の権限を、誰が与え、そのトップがどのような人物で、どんな調査ができるかが、全く不透明な状態だったといいます。
さらに中山氏は

「当時は『保衛部』」すら入っていなかったと思います」

と述べました。
その調査委員会には、北朝鮮の秘密警察である国家安全保衛部の人間もいなかったのです。
これでは十分な調査が望めない。
そこで、提案を突き返し、北朝鮮の本気度を日本が測っていたころ、福田首相は「(会見が国民には人ごとのように聞こえるという話だが?)私は、自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです!」と「あなたとは違うんです発言」述べました。
北朝鮮への対話路線に活路を見いだしていた福田首相自身が、ねじれ国会の中で政権運営に行き詰まり、突如、辞任を表明しました。
中山氏は

「本気で再調査をする決断をまずしてもらいたいという意味合いの打ち返しをしていたから、北朝鮮としては、立ち往生した状況。そんな中で、たまたま福田首相が辞任を発表なさったので、北朝鮮側は、これを口実に使って、再調査を中止した」

と述べました。
こうして幻に終わった北朝鮮による再調査。
その内実は、決して本気とはいえない調査体制を、日本に見透かされ、次の対応を決めあぐねていた北朝鮮側が、福田首相の辞任をこれ幸いと、再調査中止の口実に利用したと考えられます。


■「拉致?僕わからない」

そして8月27日、福田元首相は今回の再調査について、「拉致?拉致、僕わからない。今やってるんだから、余計なことは言わない」と述べ、在任中の時を振り返って今は?の問いには「いや、全然状況が違うからね」と述べました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



拉致事件、再調査の現状】
北朝鮮による拉致被害者らの調査に関する初回の報告を9月第2週以降に行う方向で日・朝両政府が調整していることが、8月21日分かった。日本側は報告の内容を精査の上、疑問点をただしたりするための調査団を北朝鮮に派遣する準備に入った。複数の政府関係者が明らかにした。
最初の調査報告をめぐっては、両政府は7月1日の北京での外務省局長級協議で、「夏の終わりから秋の初め」に行うことで合意した。岸田文雄外相は8月10日にミャンマーで非公式に協議した北朝鮮のリ・スヨン外相に着実な調査を要請。
前後して両政府が水面下で接触した結果、安倍晋三首相が9月3日に内閣改造、6~8日の日程でスリランカバングラデシュを訪問した後に、局長級協議を改めて開いて報告を受けることになった。
日本政府が認定した未帰国の拉致被害者12人について、北朝鮮はこれまで「8人死亡・4人未入国」と説明してきた。
今回の調査は金正恩キム・ジョンウン)第1書記体制に代わってから初めて行われるもので、第1書記の父親の金正日キム・ジョンイル)総書記時代に展開した主張を覆す形で新たな結果を示すかが焦点。また、拉致の疑いがある「特定失踪者」の安否情報をどの程度提示するかも注目される。
日本政府の調査団は、外務省を中心に拉致問題対策本部警察庁などの担当者で構成される。
北朝鮮に一定期間滞在し、関係者への聴取や現地視察を行う方向だ。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。