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【みんな生きている】田口八重子さん/産経新聞

《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!田口八重子さんの帰国を阻むもの》

「私には子供が2人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、帰してほしい」。
昭和53年6月、2人の子供を東京・高田馬場ベビーホテルに預けたまま、拉致された田口八重子さんは北朝鮮に到着直後、そう懇願した。
田口さんと53年9月から翌年11月まで一緒に生活した地村富貴恵さんが、田口さんから聞いた話として証言している。


■厳しい監視生活に「工作員になってでも日本に帰りたい」

ほかの拉致被害者と同じく、2人の生活も厳しい監視の目にさらされていた。日本の歌をカセットに吹き込んだのがばれ、指導員に怒られたり、近くに散歩に出かけたのをとがめられたりしたこともあった。
管理された生活の中でも、田口さんは思いつめるように、日本への帰国を考えていた。
富貴恵さんに「工作員になってでも日本に戻りたい」と伝えたこともある。工作員になれば、海外で活動できるため、日本に行くチャンスがあるかもしれないと考えたのだろう。


工作員にはなれず工作員を教育

だが、工作員になることはできず、皮肉なことに工作員の教育を担当するようになる。富貴恵さんと離れた後、田口さんは56年7月から58年3月まで、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員と生活をともにしながら、日本語や日本の生活習慣を教えた。金元工作員には「李恩恵(リ・ウネ)」と名乗っていた。


横田めぐみさんとの生活

59年からは横田めぐみさんと一緒に生活。同じ集落には富貴恵さんも生活していた。
富貴恵さんにはともに拉致された夫の保志さんとの間に子供がおり、田口さんは「子供たちを思い出す」と話し、富貴恵さんの子供をとてもかわいがったという。
帰国した被害者の証言によると、田口さんがその集落で生活したのは61年まで。富貴恵さんは別れる前、「違う招待所に行くかもしれない。そこに行ったらもう会えないかもしれない」と田口さんから聞かされたという。


■「知り過ぎたから、日本に帰せない」

北朝鮮の説明では、その年の7月、「軍部隊の車と衝突して死亡」とされた。めぐみさんと同じく、ほかの被害者の目の届かない場所に移った直後の不審な「死亡」だったが、その後も生存しているという情報は複数存在している。
田口さんも、テロ実行犯の金賢姫工作員を直接知っているほかに、金正日キム・ジョンイル)総書記の“秘密”にも触れていた。その様子は金元工作員の著書に記されている。
金元工作員と一緒に暮らしていた田口さんはあるとき、金総書記の誕生日パーティーに出席したときの様子を打ち明けた。その席では、参加者がわいせつな遊びに興じていたという。
その話をした直後、田口さんは、必死で金元工作員に口止めしたという。北朝鮮で神格化されている最高権力者の恥部を垣間見た田口さんもまた、「知りすぎた被害者」だった。
北朝鮮は田口さんと金元工作員との関係を否定するため、わざわざこう説明している。

李恩恵という日本人女性はいない》。

その一文に田口さんを帰せない北朝鮮の意思がはっきりと表れている。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年7月31日
アベック拉致容疑事案
被害者:蓮池 薫さん(拉致被害時20歳)
被害者:蓮池祐木子さん(旧姓奥土)(拉致被害時22歳)
蓮池さんは「ちょっと出かける。すぐ帰る」と言って外出したまま失踪。同様に奥土さんも外出したまま失踪。
2人は昭和55年に結婚。平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子1人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称チェ・スンチョルについて平成18年2月に、また、共犯者である自称韓明一(ハン・ミョンイル)こと通称ハン・クムニョン及び通称キム・ナムジンについて平成19年2月にそれぞれ逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年7月7日
アベック拉致容疑事案
被害者:地村保志さん(拉致被害時23歳)
被害者:地村富貴惠さん(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)
「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。
2人は昭和54年に結婚。
平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」
(地村富貴恵さんの証言)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。