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【みんな生きている】田口八重子さん/産経新聞

《「勝負の夏」から「決着の秋」へ!田口八重子さんを救出しろ!》

■「今年こそ最後にしたい」

昭和53年、22歳で北朝鮮に拉致された田口八重子さん。拉致問題を象徴する存在の一人だ。家族は地元・埼玉県川口市で、そして全国で救出への取り組みを必死に続けてきた。そうしたなかで、「再調査」が始まる前の今年5月、一人のきょうだいが旅立った。兄・飯塚 進さん。72歳だった。
「来年こそはこの活動をせずに済むといいね」。ことあるごと、関係者と語り合っていた進さん。「思いがけなく逝ってしまって。結末を見せてあげたかった」。妻の綾子さん(67歳)は言葉を詰まらせる。
1987(昭和62)年に発生した大韓航空機(KAL機)爆破事件で浮かび上がった拉致被害者李恩恵(リ・ウネ)」の存在。平成3年、埼玉県警は李恩恵を田口さんと断定したことを、事実上明らかにした。
北朝鮮がようやく拉致を認めたのは14年。だが、突きつけてきた回答は「死亡した」とする虚構だった。再び事態は膠着し、一時は沸騰した日本の世論もいつしか沈静化。だが、きょうだいは訴え続けた。
進さんはパンフレット、署名簿を持ち全国を駆け回る。自宅を活動の拠点とし、共に街頭に立つ特定失踪者の家族らの送迎も買って出た。
「大きな存在だった」。北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の会や、拉致問題を考える川口の会の関係者も、その死を悼む。
今月、川口市の祭り会場で行われた恒例の署名活動。埼玉ゆかりの特定失踪者の家族などいつもの顔がそろう中に、進さんの姿はない。
「残された時間が少ない。そう実感しています。今年こそ最後にしたい」。綾子さんは決意を新たにした。
「一番大きな力は国民世論」。田口さんの兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(76歳)はこう訴える。
姉の鈴木正子さん(67歳)は「(進さんには)よい知らせを聞かせてあげたかった。被害者全員の帰還だけが願い」と、進さんの遺志に思いをはせた。
また、兄・本間 勝さん(70歳)は「この再調査は『最後』の機会。日本政府の覚悟に期待している」と力を込めた。

すべての家族を取り戻すまで。街頭から声を上げる人々がいる。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・新木 章さんについて》
◆氏名:新木 章
あらきあきら
◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年10月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の身分:銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
◆当時の住所:埼玉県川口市栄町
◆特徴:
1)中肉中背
2)眼鏡使用
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。
家を出たときは財布しか持っていない。
免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。
平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

《埼玉県警公開特定失踪者・片岡 清さんについて》
◆氏名:片岡 清
(かたおかきよし)
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:埼玉県草加市
◆身長:160cmくらい

【失踪状況】
昭和44年6月頃、埼玉県草加市内で行方不明になっています。

《埼玉県警公開特定失踪者・宮坂昭二さんについて》
◆氏名:宮坂 昭二
(みやさかしょうじ)
◆当時の年齢:27歳
◆住所:埼玉県戸田市美女木
◆当時の職業:清掃員

【失踪状況】
昭和50年7月上旬、会社から家族に「二人とも出社しなくなった」と連絡があり行方不明になっていることがわかりました。
(弟の宮坂昭三さんと一緒に行方不明となりました)

《埼玉県警公開特定失踪者・宮坂昭三さんについて》
◆氏名:宮坂 昭三
(みやさかしょうぞう)
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:埼玉県戸田市美女木
◆当時の職業:清掃員

【失踪状況】
昭和50年7月上旬、会社から家族に「二人とも出社しなくなった」と連絡があり行方不明になっていることがわかりました。
(兄の宮坂昭二さんと一緒に行方不明となりました)

《埼玉県警公開特定失踪者・南繁次郎さんについて》
◆氏名:南 繁次郎
(みなみしげじろう)
◆当時の年齢:47歳
◆当時の住所:埼玉県越谷市大字平方
◆当時の職業:自営業
◆身長:168cmくらい

【失踪状況】
昭和62年7月20日、「集金に行ってくる」と言って車で出かけたまま行方不明になりました。

《埼玉県警公開特定失踪者・金井健一郎さんについて》
◆氏名:金井 健一郎
(かないけんいちろう)
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:埼玉県上尾市谷津
◆当時の職業:無職
◆身長:168cmくらい

【失踪状況】
平成4年8月下旬、自宅を出たまま行方不明になりました。

富山県警公開特定失踪者・渡辺信行さんについて》
◆氏名:渡辺 信行
(わたなべのぶゆき)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:埼玉県熊谷市拾六間
◆当時の職業:航空自衛官
◆身長:約175cm
富山県小矢部市出身

【失踪状況】
航空自衛隊の気象観測員として術科学校に在学中、昭和54年10月10日の午後から外出したまま宿舎に戻らず、行方不明となっています。

《警視庁公開特定失踪者・乘松眞喜子さんについて》
◆氏名:乘松 眞喜子
(のりまつまきこ)
◆当時の年齢:23歳(昭和35年当時)
◆当時の住所:埼玉県浦和市
◆当時の職業:会社員
◆身体的特徴:
1)身長153くらい
2)血液型A型

【失踪状況】
昭和35年9月、自宅を出た後、行方不明となっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。