もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】帰還事業編[日本人妻]/JNN

北朝鮮をめぐる問題です。
今回の日・朝間の合意で、北朝鮮拉致被害者以外に、在日朝鮮人男性の妻として北朝鮮に渡った日本人女性たちについても調査の対象にするとしました。
非常に貧しい生活を送っているとされる彼女たちの安否が心配される中、北朝鮮を命がけで脱出し、日本に帰国した女性が過酷な体験を語りました。

大阪市郊外の農園。
働いているのは、かつて在日朝鮮人の夫とともに北朝鮮へと渡った日本人妻やその子どもたち数人。北朝鮮から脱出し、日本で暮らす脱北者です。
この農園を運営する「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の山田文明代表。
去年秋、帰国した日本人妻たちを支援する一環で始めました。

「何とか最小限の生活がここに来て頑張ればできるよと。生活保護に頼ることがないようにしたい」
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・山田文明代表)

1959年から始まった在日朝鮮人の帰還事業。
当時、北朝鮮は、朝鮮総連等から“地上の楽園”と宣伝されていました。それを信じて、北朝鮮に渡った日本国籍者は7,000人近くいましたが、その大半が日本人妻とみられています。日・朝合意には、これら日本人妻の所在の調査も盛り込まれています。

専門家に北朝鮮の意図を聞きました。

(Q.この前の日・朝の合意文書ありましたよね。ご覧になってどう思いました?)
北朝鮮拉致問題を含む諸懸案を解決しようという熱意は感じられた。(日本人妻の)問題から始めていけば、うまくいくだろうと向こう(北朝鮮)は考えたのかな」
(元東京入国管理局長で移民政策研究所所長の坂中英徳氏)

脱北した日本人妻は、北朝鮮に残してきた家族に危害が加えられることをおそれ、北朝鮮の内情について多くを語りません。
しかし、匿名を条件に、1人の日本人妻が取材に応じてくれました。

「買って食べるのよりは自分で漬けたほうがおいしいから」(日本人妻【70代】)

在日朝鮮人の男性と結婚した後、1961年に北朝鮮へ渡ったという、この女性。日本で聞いていた“地上の楽園”というイメージは、到着早々、崩れ去ったといいます。

「(北朝鮮の港に)だんだんと近づいていくうちに(人々の)服装とか、子どもは下が丸裸でいる。ここで『だまされて来たな』とそういう思いで、泣く人から何から大騒ぎ。北朝鮮という国はこうなんだ。『地上の楽園』どころじゃないねと」(日本人妻)

食糧は乏しく、北朝鮮で産んだ子どもの1人は、栄養失調で死亡しました。

「(食べ物を探しに)山へ行ってたんぽぽをとったり、草をとったり、もうあんな国は世界中に探してもないと思うわ」(日本人妻)

北朝鮮にいる日本人妻は今、どんな生活をしているのか。
アジアプレスの北朝鮮人ジャーナリストが、北朝鮮中部の民家で撮影した映像に、その姿がありました。

(Q.おばあさんは日本の人?)
「えぇ」
(Q.日本の故郷はどこですか?)
香川県香川県

たどたどしい朝鮮語の合間に、日本語が混ざります。

(Q.おばあさんは日本の女性?日本国籍?)
「朝鮮は…私の夫が朝鮮なの。朝鮮語といっても、聞くのは聞いても言葉が出て来なくて言葉が…」

アジアプレスによると、北朝鮮では、日本人妻に対する調査の動きがすでに始まっているといいます。
しかし、死亡した人も少なくないといいます。

「300人かそれくらい、生きておられると思っていますけどね。期待も込めてですけどね」
(元東京入国管理局長で移民政策研究所所長の坂中英徳氏)

果たして、どれだけの日本人妻が日本に帰ることができるのか?

「どんなに日本が恋しいか。私みたいに脱北をするのではなく、堂々と帰ってこられるように、それが一番私の望みだと思う」
(日本人妻)



《参考・北朝鮮人権・難民国際会議》

北朝鮮への帰還者、200人以上が再び日本へ(2009年)】

3月20日にオーストラリアのメルボルンで開催された「第9回北朝鮮人権・難民国際会議」では、帰還船で北朝鮮に渡った後、再び日本へ脱出した在日朝鮮人問題が公式に取り上げられた。
オーストラリア国立大学のモーリス・スズキ教授は

「1990年代半ば頃から200人以上の在日朝鮮人が、北朝鮮当局の許可無しに国境を越えて日本に定住している。彼らはかつて帰還船で北朝鮮に渡った人たちだ」

と語った。
しかし、

「国連難民高等弁務官室(UNHCR)の統計では、1995年~2007年に北朝鮮から2万人が日本に亡命を申請したが、全て拒否された」

と言う。
日本国内の脱北難民問題は、1959年に日本と北朝鮮赤十字社在日朝鮮人の大規模な移住について協定を結んだことから始まった。
1959年~1984年までの間に在日朝鮮人93,340人が帰還船で北朝鮮に渡ったが、予想とは異なり故国であるはずの北朝鮮でまともな待遇を受けられず、日本よりもひどい差別を受けて強制収容所に送られた者もいた。
その後、帰還船で北朝鮮に渡った在日朝鮮人の一部は他の脱北難民と同じように中・朝国境を通じて北朝鮮を脱出し、第三国を経て縁故のある日本へ戻るケースが出て来た。日本政府は正式な難民手続きを経ずに「特別滞留許可」という形で彼らを受け入れた。
スズキ教授によると

「その後、韓国政府と在日本大韓民国民団(民団)は『帰還難民』たちが必要な生活必需品を購入出来るよう支援金1,000ドル(約9万5千円)を与え、就職活動も支援している」

と言う。



《特定失踪者・正木冽子さんについて》
◆氏名:正木 冽子
(まさきれつこ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年9月24日
◆生年月日:昭和17(1942)年12月23日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:157cm
◆当時の身分:看護師
◆当時の住所:香川県
◆特徴:丸ぽちゃ
◆失踪場所:徳島県徳島市眉山公園山頂

【失踪状況】
徳島市眉山公園山頂で行方不明。
前日9月23日、香川県大川郡引田町のバーで友人が目撃。

《特定失踪者・岡内正三さんについて》
◆氏名:岡内 正三
(おかうちまさみ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年12月下旬
◆生年月日:昭和16(1941)年12月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:165cm
◆体重:65kg
◆当時の身分:焼肉店従業員
◆当時の住所:香川県高松市
◆特徴:眼鏡着用
◆失踪場所:香川県高松市

【失踪状況】
勤務していた焼肉店から失踪。
仕事着(白い割烹着)で所持金も免許証も持っていなかった。
皆近くへでも行っているものと思っていた。

《特定失踪者・松永正樹さんについて》
◆氏名:松永 正樹
(まつながまさき)
◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日
◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の身分:無職
(以前は運送会社などに勤めていた)
◆当時の住所:香川県
◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】
1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。
クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。
9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。
9日に足寄で29リットルを給油。
同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。
本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。
9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。
同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。