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【みんな生きている】小久保稔史さん・秋田美輪さん・林 雅俊さん/NHK[愛知]

安倍晋三総理大臣は北朝鮮拉致被害者等を調査する「特別調査委員会」について、調査の実効性が確保されると判断できるとして、日本が独自に行っている制裁措置の一部を解除することを7月3日午前、表明しました。
愛知、岐阜、三重の3つの県で拉致された可能性が排除できないとされている人は、合わせて少なくとも26人に上り、家族からは問題の解決を期待する声があがっています。
各県の警察本部がホームページで顔写真等を公開している人は、愛知が19人、岐阜が4人、三重が4人で、このうち1人は、2つの県警が捜査の対象としています。
拉致された可能性が排除できない、いわゆる特定失踪者の一人、三重県鳥羽市出身の小久保稔史さんは、34年前の昭和55年1月、32歳の時に行方がわからなくなりました。
昭和22年の生まれで、失踪当時は貨物船の船員をしていました。京都の舞鶴港に寄港した際、舞鶴市内のスナックに立ち寄り、店を出たあと、行方がわからなくなりました。この日の夜に、鳥羽市内の自宅に電話をかけて妻と話しをしていましたが、特に変わった様子は、なかったということです。
拉致問題を調査している民間の団体「特定失踪者問題調査会」は、船室にコートが残されていたことや、幼い子どもがいたこと等から小久保さんに失踪する理由はなく拉致された可能性が高いとしています。
小久保さんの兄で、鳥羽市に住む久知さん(70歳)は

「弟が健在でいればこんなにうれしいことはない。北朝鮮には、一刻も早く真実を明らかにしてほしい」

と話しています。
また、大学生だった29年前に行方がわからなくなった秋田美輪さんの母親で、愛知県大府市に住む嶺子さん(80歳)は

「今回の調査には大いに期待している。娘への思いは消えることはないし、元気でいてくれているのかを早く知りたい。他の特定失踪者も全員が、帰国できるようになったら、一番うれしい」

と話していました。
さらに16年前、岐阜大学の大学院生のときに行方が分からなくなった林 雅俊さんの父親で、岐阜県養老町に住む俊雄さん(68歳)は

「今までの調査では、北朝鮮に裏切られてきましたが今回は実効性があると信じるしかありません。特定失踪者が1人でも多く北朝鮮で生きていることを確認できるよう願っています。一日も早く息子に帰ってきてほしい」

と話していました。
警察によりますと、この他にも、家族の同意が得られないため、名前等を公開せずに捜査や調査の対象にしている人がいるということです。
警察は今後、北朝鮮から、行方不明者に関する何らかの情報や、資料の提供等があった場合に備えて、家族たちのDNAの採取を進めています。

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》
◆氏名:小久保 稔史
(こくぼとしひと)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日
◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆身長:163cm
◆体重:57kg
◆当時の身分:船員
◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町
◆特徴:
1)やせ型
2)浅黒
3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:京都府舞鶴市

【失踪状況】
舞鶴のスナックを一人で出た後不明。
午後7時に「パチンコ屋の横から」と言って自宅に普通の口調で電話があった。
船室もそのままだった。コートも置いてあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。
さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮工作員とみられる。

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》
◆氏名:林 雅俊
(はやしまさとし)
◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日
◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:169cm
◆体重:50kg
◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)
◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町
◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】
午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。
この日の夜は帰宅しなかった。それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。
5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。
車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。
ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。
パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ
少し道をはずしてしまったような気がする
何も考えずにここまできてしまった
このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません
修論も考えるとぞっとします
今までさんざんわがまま言ってごめんね
先生にもよろしく
このパソコンは○○さんにあげます
本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。
その後無言電話が1~2カ月間続いた。
1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。
車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。
また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《愛知県警及び新潟県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。