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【みんな生きている】安藤宗光編/産経新聞

日本人拉致被害者等の再調査をめぐる日・朝両政府の合意では、北朝鮮が全ての日本人拉致被害者と「特定失踪者」等について包括的に再調査すると約束した。拉致問題は実際に動くのか、国民の関心は期待感とともににわかに高まっている。「北朝鮮に拉致された日本人を救う会広島」の会長として長年、活動を継続してきた安藤宗光さん(59歳)に、これまでの活動を通して見えてきたことや、北朝鮮を巡るさまざまな問題について聞いた。



《インタビューは広島市内の『産経新聞』広島総局で行った。普段着姿の安藤さんはリラックスした様子で応じ、質問にも率直に答えてくれた》


産経新聞(以下、Q):安倍晋三首相が5月29日、北朝鮮拉致被害者等に関して全面的調査をすると発表した。これについて思うことは?
安藤宗光・救う会広島代表(以下、A):驚いた。家族会の人たちの心情を思うと、今回の日・朝合意に期待感を寄せるのはよく分かる。
なにはともあれ、家族を帰してほしいという気持ちは当然だ。
だが、北朝鮮が誠実に約束を履行してくるかというと、やはり疑問がある。これまで、にべもなく約束をひっくり返してきた相手だから。
1年で解決できればそれに越したことはないが、はっきりしないことがこれからいくつも出てくるだろう。両国の知恵比べになる。
北朝鮮は特別調査委員会を設けて再調査するというが、日本は盲点を突かれないように気をつけなければいけない。

Q:交渉に当たって日本はどのような気構えが必要か?
A:拉致は国家犯罪でひどい人権侵害だ。犯罪を追及するのだから、日本は強気でいかなければ。そして私たちは平成14年9月、小泉訪朝の際、北朝鮮が「5人生存、8人死亡、2人未入境」と8人死亡説を出してきた時のことを忘れてはならない。横田めぐみさんは死亡とされた。
ところが政府の役人は確認もせず、そのまま持ち帰った。しかし、北朝鮮がその後提出してきた「遺骨」の一部からは、めぐみさんと異なるDNAが検出された。つまり偽物だった。
今回は千載一遇のチャンスなのだから、政府の担当者も子供の使いのようなことはせず、「我が身のこと」と思って対応しなければ、またそういうことが起こりうる。

Q:そのための知恵は?
A:北朝鮮について詳しい情報を持ち、知恵を持っているNGO、民間団体がある。向こうがどういう国か知っており、いつも身近に接して情報収集している民間人がいる。可能ならそういう人たちに役割を与え、政府と一緒に対処するようにしたらよいと思う。
これからが本当の戦いになる。だからこそぜひ、官民一体でプロジェクトチームを作るべきだ。北朝鮮側が出してくるだろう調査結果を検証するためには、こちらも情報や材料をきちんと持っていないといけない。
だから、対処するチームの人選から考えてほしい。



■安藤さんは昭和29年9月12日、山口県下関市生まれ。
中学校卒業後、汽船会社に就職。2年間貨物船に乗船し、中国、旧ソ連シンガポールインドネシア、フィリピン、韓国などに寄港。
その後、下関市で工員や喫茶店ウエイターとして働き、家計を助けた。
昭和45年、広島市に来て飲食店に勤務。
その後、国を憂える気持ちから市民運動を始める。これが今の活動へとつながっていく。
平成10年、学習指導要領を逸脱した教育が行われている等として、文部省(現・文部科学省)が異例の是正指導に乗り出した広島県の教育問題では、日教組支配と指摘された公教育の問題点を街頭で訴え、追及した。



Q:安藤さんが「救う会広島」の会長になったのは?
A:平成14年、まだ「拉致疑惑」と呼ばれていた頃で、当時「救う会全国協議会」の事務局長だった荒木和博さん(現・特定失踪者問題調査会代表)たちが、全国に組織を作って国民運動にしなければいけないということで動いて、私もかかわりを持つようになった。
救う会広島」はその年の10月に結成された。新潟で昭和52年に拉致された横田めぐみさんの一家がその1年前まで広島市で暮らしていたこともあり、ご両親の横田 滋さん、早紀江さんに来てもらい、講演会を開いた。広島市南区民センターで400~500人集まった。それ以来、街頭で署名活動をしたり、集会を開いたりしてきた。
会のメンバーは14、5人。みんなボランティアなので緩やかな形で活動してきた。

Q:広島の県民、市民の反応はどのように感じるか?
A:1回目の小泉訪朝(平成14年)があり、拉致被害者5人が帰国した頃は「全員を帰してもらわないといけない」ということで、大きな関心があった。
しかし、平成16年に5人の家族が帰国した後、事態が進展せず膠着状態になってからは、街頭でチラシを配っていても低調傾向にあると感じていた。
私たちボランティアの運動が実際にどれだけの効果があるのか、どれだけの人にインパクトを与えられるのかと、もどかしさを感じることもある。それでも問題を風化させてはいけない、世論を喚起しながら政府に訴え続けることに意味がある、そう信じて活動を続けてきた。
「これをやるしかない」という思いでやってきたのが現状だ。



■「左右のイデオロギー、党派性を超えて、お互いに付き合い、無党派層とも連帯して解決しなければならない国民運動」-。
そんな思いで拉致問題と真剣に向き合い、今日まで活動を続けてきたという安藤さん。
この間、他の北朝鮮人権問題にもかかわり、「北朝鮮難民救済基金」「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」等でも活動している。



Q:朝鮮学校への補助金支出問題にも取り組んでいますね?
A:朝鮮学校朝鮮総連北朝鮮との関係が深い。
平成22年から広島県広島市補助金支出に反対する活動を始め、県議会に超党派拉致議連があることを把握していたので協力を依頼して、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の西岡 力会長を講師に、議連で勉強会を開いてもらった。そして、県議会と市議会で問題を取り上げてもらった。
また、広島韓国青年商工会と韓国民団広島県地方本部の主催で、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の三浦小太郎代表に講演してもらい、帰還事業と朝鮮学校への補助金支出の不当性を訴えた。
全国の動きに合わせ、県と広島市補助金支出を止めたのは当然だと思う。



■人権や差別では、国内の問題にも目を向ける。
近年、問題視されている外国人排斥のいわゆる「ヘイトスピーチ」については、「民族蔑視をする日本人は恥を知らなければならない」と憤る。
「民族に優劣などつけられるはずがない。日本は第2次世界大戦の前に、国際連盟の総会で、民族差別政策に対して、いち早く反対した国だ。多くのユダヤ人を亡命させた外交官、杉原千畝氏らの日本人が存在したことを忘れるべきではない」。


《インタビューは、戦後に拉致問題の解決が思うように進まなかった経緯等にも及ぶ》

Q:拉致問題について、背景に見えるものは?
A:背景には戦後の日本の問題があると思う。
昭和34年から始まった北朝鮮の帰国事業で、朝鮮総連に「地上の楽園」とだまされ、誘惑されて多くの人が北へ連れて行かれ、ひどい目に遭っている。私はこれも大規模な拉致だととらえている。日本人拉致はその延長線上にある。
北朝鮮の人権侵害に関しては、政治犯収容所の実態をNGOが追及しており、私たち「救う会」のメンバーも一緒にやっているが、多くの日本人は自分の生活にかかわることではないから、そういう問題は考えない。ずっと解決できなかったのは、拉致という人権侵害、主権侵害への無関心があった。日本が何も言わない、何もしない国になっていたということではないか。
戦後の国の守りや安全保障の考え方、そして憲法の問題があったと思う。

Q:日本が変わらなければいけないということか?
A:日本は「平和ぼけ」で、ずっとぬるま湯に浸かってきた。国を守るというと、すぐ右翼だというような風潮が今でもあるが、そんな風潮は変えなければ、安倍晋三首相のいう「戦後レジームからの脱却」はできないだろう。
国家は一人ひとりの国民が構成して成り立っているのだから。国防や安全保障、憲法の問題を包括的に考える時期がもう来ている。そして、それぞれが勉強して知識を得られたなら、公のために役立つようにしないといけないと思う。
確証を得たなら行動を起こすべきだ。


《動き始めた拉致問題だが、安藤さんは決して楽観視しない。解決には何よりも国民の意識の持ち方、世論の盛り上がりが大切だと強調する》

Q:拉致問題等の解決への展望は?
A:家族の心情を考えると、拉致被害者は全員帰してもらわなければいけない。特定失踪者や日本人配偶者といった人たちも。だが、日朝で取り決めたことを北朝鮮が誠実に透明度をもって実行してくれるのかと考えると、楽観はできない。
早くも「万景峰号」や朝鮮総連本部ビルをめぐる考え方に、日・朝間で食い違いが明らかになっている。
時間を切らなければいけないのだろうが、それではとても片付かない気もする。拉致被害者の救出運動に右も左もないはず。それぞれのイデオロギーに関係なく国民みんながもっと関心を持たなければ。
ずっと私は正義感で活動してきて、1人で声高に叫んで何になるかと思うこともあったが、1人が変わればみんなが変わるともいう。多くの人が声を上げて、世論が盛り上がってほしい。拉致という人権問題の解決に、国境も時効もないのだから。