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【みんな生きている】斉藤 裕さん・曽ケ端崇史さん/産経新聞

北朝鮮に拉致された可能性が排除できない特定失踪者の家族と、北海道の高橋はるみ知事が6月14日、札幌市の知事公館で古屋圭司拉致問題担当相と意見交換し、高橋知事は「一日も早くすべての拉致被害者の帰国を実現してほしい」と要請した。古屋氏は「安倍晋三首相は『家族と被害者が抱き合う日が来るまで任務は終わらない』と話している。すべての拉致被害者を取り戻すために全力を尽くす」と述べた。
意見交換には、昭和43年に稚内市で行方が分からなくなった斉藤 裕さん(失踪当時18歳)の姉の由美子さん(77歳)、平成7年に釧路市で消息が途絶えた曽ケ端崇史さん(失踪当時22歳)の父・勝さん(67歳)と母・富子さん(65歳)らが出席した。
終了後、取材に応じた斉藤由美子さんは

「今までと違い、今度は大丈夫だという実感がある。皆さんを助けてください」

と話し、曽ケ端 勝さんは

「たった一人の息子です。他のお子さん、親御さんも待っている。ぜひ力を貸してください。政府は尻切れとんぼにならないように頑張ってほしい」

と訴えた。

《特定失踪者・斉藤 裕さんについて》
◆氏名:斉藤 裕
(さいとうひろし
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月1日
◆生年月日:昭和25(1950)年9月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:高校機械科3年生
◆特徴:
1)小柄でやせ型
2)腕に火傷痕(左右は不明)
3)盲腸の手術跡あり
◆失踪場所:北海道稚内市

【失踪状況】
当日夜7時頃、4キロくらい離れた友人宅を訪ねたが友人は不在だったので、「また来る」とその家族に告げて浜の方へ下りていったまま消息不明。
翌年4月から大阪の会社に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、北海道県警に告発状提出。

《特定失踪者・曽ヶ端崇史さんについて》
◆氏名:曽ヶ端 崇史
(そがはたたかふみ)
◆失踪年月日:平成7(1995)年8月24日
◆生年月日:昭和48(1953)年6月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:170cm
◆体重:80kg
◆当時の身分:釧路公立大経済学部3年生
◆失踪場所:北海道釧路市

【失踪状況】
アルバイト終了後、バイト先の仲間たちと車で夕食に行く。
その後近くに住む後輩を送って下宿に向かう。
以来消息なし。
下宿に戻ったかどうかも分からない。
車も不明。
下宿は洗濯機の中に洗濯物が入ったまま。
窓は開けたままだった。
釧路西・東港で測量会社に海底の調査を依頼したが車はなかった。

《特定失踪者・国井えり子さんについて》
◆氏名:国井 えり子
(くにいえりこ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年12月12日
◆生年月日:昭和26(1951)年10月11日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:高校2年生
◆失踪場所:北海道網走市内の自宅から

【失踪状況】
失踪する数日前から、家には「学校へ行く」と言って出かけていたが、家族が仕事に出かけたあとで家に戻り、自分の部屋に閉じこもっていた(知人の証言)。
失踪した日の午前7時30分頃、「学校で試験があるのでいつもより早く学校へ行く」といってみかんを半分だけ食べて自宅を出たまま行方不明。
失踪時の服装は高校の制服。
普段かけていた眼鏡は部屋に置かれたままで、日記も2冊あった(日記は警察に提出し、その後処分された)。
衣服などは持ち出した形跡はなかったが、アルバムがなくなっていた。
高校生だったのでお金もそんなにもっていない。家のお金にも手をつけていない。
失踪後、数日してから無言電話が3~4回かかってきた。家族が出ると一方的に切れるものだった。
同様の無言電話が複数の親戚のところにもあった。
脱北者がもたらした写真が、国井えり子さんである可能性がある。
平成17年9月30日、北海道警に告発状を提出。

《特定失踪者・小野寺将人さんについて》
◆氏名:小野寺 将人
(おのでらまさと)
◆失踪年月日:平成3(1991)年7月19日
◆生年月日:昭和42(1967)年2月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:171cm
◆体重:60kg
◆当時の身分:ホテル勤務
◆特徴:
1)交通事故の後遺症で左目の視力がない
2)眼鏡をかけているかも知れない
3)アレルギー体質で喘息の発作を起こす
◆失踪場所:北海道富良野

【失踪状況】
富良野ラベンダー祭に登別駅からレンタカーで出発し、その後消息を絶つ。
1泊2日の予定だったがホテルが取れず車中泊
同21日室蘭警察署に捜索願いを出す。
10月26日十勝岳中腹のホテルの駐車場でレンタカー発見。免許証は見つかっていない。
銀行預金も引き出されていない。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・武山京子さんについて》
◆氏名:武山 京子
(たけやまきょうこ)
◆失踪年月日:平成4(1992)年6月12日
◆生年月日:昭和10(1935)年12月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:56歳
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:北海道浜益郡浜益村幌と床丹の間の山林

【失踪状況】
午前8時半頃、タケノコ採りに山に入り失踪。
大捜索するが遺留品は全くなし。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。