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【みんな生きている】紙谷慶五郎さん/HBC

47年前、オホーツク海で親子4人が失踪した事件で、当時、不審な黒い船を目撃した人がHBCの取材以外に新たに2人いたことがわかりました。
北朝鮮による拉致の疑いを調べている特定失踪者問題調査会。6月4日の稚内に続き、5日は47年前に漁師4人が失踪したオホーツクの雄武町を中心に調査しました。
1967年11月7日、雄武町の沖へ漁船「圭運丸」でイカ漁に出た紙谷慶五郎さん(当時55歳)と長男たち親子4人が失踪しました。
HBCの去年の取材で、4人が失踪した日の午前、圭運丸は黒い船を含む3隻の不審な船に浅瀬で取り囲まれていたことが分かっています。
特定失踪者問題調査会の調査に合わせて、4日に開かれた集会で、4人が失踪した1967年11月に雄武港で黒い船を目撃したという証言が相次ぎました。

「真っ黒な船が雄武の築港の赤灯台の所にとまっていた。私は確認して見ている」
(“黒い船”を目撃した人)
港で黒い船を見たのは、午後2時頃だったということです。

「変な船がいるなと思って見ただけで帰った。色は黒。何も書いていない。(Q漁船ではなかった?)全然違う」
(“黒い船”を目撃した人)

目撃証言は、4日の集会で2人、去年のHBCの取材とあわせて3人目になり、特定失踪者問題調査会は、重要な証言とみています。
特定失踪者問題調査会は6日、常呂町網走市で失踪した女性の足取りを調べることにしています。

《特定失踪者・紙谷慶五郎さんについて》
◆氏名:紙谷 慶五郎
(かみやけいごろう)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:明治45(1912)年3月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:56歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷圭剛さんについて》
◆氏名:紙谷 圭剛
(かみやけいご)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷礼人さんについて》
◆氏名:紙谷 礼人
(かみやのりひと)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年4月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷速水さんについて》
◆氏名:紙谷 速水
(かみやはやみ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和26(1951)年1月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《北海道警公開特定失踪者・内山 實さんについて》
◆氏名:内山 實
(うちやまみのる)
◆年齢:当時23歳
◆住所:北海道室蘭市
◆職業:会社員
◆身長:165cm
◆体重:65kg
◆特徴:
1)中肉
2)顔型面長

【失踪状況】
昭和38年8月10日夕方、「中央町に出かける」と言って自転車で自宅を出たまま行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・大田 清さんについて》
◆氏名:大田 清
(おおたきよし)
◆年齢:当時18歳
◆住所:神奈川県相模原市
◆職業:大学生
◆身長:160cm
◆体重:50kg
◆特徴:
1)やせ型
2)頭髪黒色スポーツ刈り
3)左眉毛下1cmの切り傷

【失踪状況】
昭和46年1月ころから音信不通となり、その後行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・上山君子さんについて》
◆氏名:上山 君子
(うえやまきみこ)
◆年齢:当時16~18歳
◆住所:北海道旭川市
◆職業:無職
◆身長:160cm
◆特徴:
1)中肉
2)色白

【失踪状況】
昭和48年または昭和49年2月ころ、行き先を告げずに外出したまま行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・兼頭壽子さんについて》
◆氏名:兼頭 壽子
(かねとうひさこ)
◆年齢:当時23歳
◆住所:北海道美唄市
◆職業:教員
◆身長:152cm
◆特徴:背中中央部に直径約1cmのホクロ

【失踪状況】
昭和31年1月21日午前9時ころ、「旭川市内に居住する友人宅に遊びに行く」と言って自宅を出たまま行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・木村征二さんについて》
◆氏名:木村 征二
(きむらせいじ)
◆年齢:当時23歳
◆住所:北海道釧路市
◆職業:国家公務員
◆身長:167cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)やせ型
2)頭髪黒色で四六分け

【失踪状況】
昭和42年10月10日午前10時ころ、実家から寮に戻る途中に行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・加藤司郎さんについて》
◆氏名:加藤 司郎
(かとうしろう)
◆年齢:当時22歳
◆住所:北海道札幌市西区
◆職業:大学生
◆身長:178cm
◆特徴:
1)やせ型
2)顔の型は卵型

【失踪状況】
昭和45年4月18日昼ころ、自宅で母親と会話を交わした後、行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・坂井浩司さんについて》
◆氏名:坂井 浩司
(さかいこうじ)
◆年齢:当時:17歳
◆住所:千葉県富津市
◆職業:鉄工所作業員
◆身長:165cm
◆体重:65kg
◆特徴:
1)中肉
2)顔の型は丸顔

【失踪状況】
昭和62年10月1日、旅行滞在中の台湾のホテルから外出したまま行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・佐藤幸治さんについて》
◆氏名:佐藤 幸治
(さとうこうじ)
◆年齢:当時25歳
◆住所:北海道函館市
◆職業:調理師
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)やせ型
2)盲腸手術痕

【失踪状況】
昭和53年1月30日午後1時ころ、家族に「電車に乗る」と言って別れた後、行方不明になっています。

《北海道警公開特定失踪者・佐藤隆二さんについて》
◆氏名:佐藤 隆二
(さとうりゅうじ)
◆年齢:当時20歳
◆住所:北海道札幌市北区
◆職業:大学生
◆身長:173cm
◆特徴:
1)やせ型
2)頭髪黒色七三分け

【失踪状況】
昭和33年7月14日、下宿先から外出した後、行方不明になっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。