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【みんな生きている】拉致被害者・特定失踪者再調査編/NHK[茨城]

拉致被害者の早期救出を訴える集会が茨城県那珂市で開かれ、北朝鮮拉致被害者等の全面的な調査を行うと約束したことについて、被害者の家族は全員の早期帰国を求めました。
那珂市の公民館で開かれた集会には拉致被害者の家族や支援者など560人が参加しました。
集会では拉致被害者横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんが講演し、北朝鮮拉致被害者などの全面的な調査を行うと約束したことについて、早紀江さんは

「まだまだ難しい状況が続くと思いますが支援をお願いします」

と呼びかけました。
また、拉致の可能性が排除できないいわゆる特定失踪者の調査をしている民間団体・特定失踪者問題調査会(調査会)の荒木和博代表は、

北朝鮮による調査で仮に何人かの拉致被害者が帰ってきたとしてもそれで終わりにさせてはいけない」

と述べ、引き続き、拉致問題の全面解決と全員の早期帰国を求めました。
茨城県でも特定失踪者が10人いて、集会にはこのうち2人の特定失踪者の両親が子どもの写真を手にして参加し、問題の進展に期待を寄せていました。

◆昭和52(1977)年11月15日
少女拉致容疑事案
被害者:横田めぐみさん(拉致被害時13歳)
新潟市において下校途中に失踪。
平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「拉致された人たちが家族のところに帰るのは人間として当たり前のこと」
横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

《特定失踪者・根本直美さんについて》
◆氏名:根本 直美
(ねもとなおみ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月20日
◆生年月日:昭和47(1972)年1月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:15歳
◆身長:168cm
◆体重:52kg
◆当時の身分:高校1年生
◆当時の住所:茨城県藤代町
◆特徴:
1)やせ形
2)近視
3)右のももに子供の頃やけどの跡が薄く残っている
◆失踪場所:茨城県藤代町の自宅近く

【失踪状況】
テニス部の部活を終え下校する。
途中まで友達と一緒に帰り、午後7時頃その友達と別れて以後行方不明。
友達と別れた交差点から自宅までの中間地点にある神社の近くで自転車と本人のバッグが見つかった。

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による根本直美さん失踪の解説】
1987(昭和62)年6月20日(土曜日)、高校1年生の根本直美さん(当時15歳)は学校での部活を終え、他の部員8名とともに自転車で自宅に向かう途中、自宅まで約800mの地点に架かる『小貝川橋』のたもとで午後7時15分頃、部員達と別れ、一人で川沿いの道を自宅方向に向かったが帰宅せず、心配した母親が様子を見に行ったところ、自宅から約400m程の位置にある『熊野神社』前の土手に直美さんの自転車が倒れ、通学時に持っていたバッグも放置されているのを発見し、周辺を探したが直美さんは見つからず行方不明となった。
当日の夜は父親が神社裏手の集会場で地域の会合に出席するため午後7時頃にこの道を自家用車で通過していたが「不審な車両や人物を見た記憶はない」という。
一方、警察の捜索では警察犬も投入して捜索を行ったが、自転車が放置された場所から先の自宅方向に警察犬は動かず、直美さんの足取りは『熊野神社』前で消えている。
失踪直後直美さんの実家には3日間、警察が泊り込みで捜索に当たったが、警察が引き上げた直後の夜に無言電話があり、母親が電話口で「もしもし?」と呼びかけると電話は切れ、その後はいたずらと思われる電話が2回ほどあったのみである。
また直美さんを探していた両親は後日、直美さん失踪の前日(6月19日金曜日)の夜に直美さんの自転車が放置されていた熊野神社(大曲地区)の対岸にある藤代地区で「会社帰りの女性が白い車に追いかけられた」との情報を得たが人物の特定が出来ず、真偽は不明のままとなっている。
当日も直美さんと一緒に部活に参加していたが、3年生は早く練習が終わり、姉は午後3時か4時頃には帰宅している。
《その他》
当時の地元新聞記事の中に

「自転車が発見された周辺では最近暴走族が頻繁に出没したり、この春には変質者が現れるなどして不安を訴える住民もいた」
「同神社から20m自宅寄りにあった小貝川改修工事現場事務所前の空き地に、白い乗用車が止まっていたという目撃証言があったが、その後の調べで乗用車が止まっていたのは失踪時間から15分ほど経過した7時半頃と判明、時間的に見て直美さん失踪との関連は薄いとみている。」

との記事が掲載されている。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。