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【みんな生きている】日比谷公会堂(3)菅 義偉編

菅 義偉(内閣官房長官

本日の国民大集会を主催された家族会、救う会拉致議連、そして知事の会、地方議会全国協議会の皆様方のご尽力に心から敬意を表する次第です。またこの場に集まっていただいた皆様方の日頃のご尽力に敬意と感謝をいたす次第です。
先日総理官邸で、総理と拉致被害者ご家族との面談の席に私も同席させていただきました。ご家族の皆様の思いをうかがう機会を得る中で、改めて私たち安倍政権の間に何としても拉致問題は解決するとの思いを強くしました。
ご案内いただきましたように、総理はどうしても出席がかないませんでしたので、総理からメッセージを預かってきておりますので、ここでご紹介をさせていただきます。


安倍総理メッセージ】

国民大集会の開催に当たり、一言御挨拶申し上げます。
拉致被害者のご家族の皆さんはかけがえのない肉親を救うため、ご高齢を押して、国内外における拉致問題解決に向けた様々な活動に取り組んでおられます。
そのご苦労と、一日千秋の思いで被害者の帰国を待っておられる皆さんのお気持ちを察する度に、本当に心が痛む思いであります。
拉致問題はこの安倍内閣において解決させる。被害者とご家族が抱き合う日が訪れるまで私の使命は終わらないと覚悟しており、この決意のもと、拉致問題の全面解決に向けて全力で尽くしてまいります。
拉致問題の解決のためには、我が国自身が対話と圧力との基本姿勢のもと、主体的な取り組みを行う必要があり、先月には1年4か月ぶりに日・朝政府間協議を開催致しました。拉致問題については、北朝鮮の前向きな対応を引出し、全面解決を図ってまいります。
拉致問題の解決には国際社会との連携も必要であります。国連においても北朝鮮の人権に関する国連調査委員会(COI)が、拉致問題を含むいくつかの分野における人権侵害を、「人道に対する罪に該当する」と断定し北朝鮮に具体的な取り組みを勧告いたしました。
これを受け、家族会の飯塚代表が国連人権理事会に出席をして拉致問題の解決を訴え、さらに増元事務局長がニュヨークで国連安保理、あるいはフォーミュラー会議にも出席し、この問題の一刻も早い解決を訴えられました。皆さんのご尽力は、拉致問題がまさに国際社会の問題であるという意識を広く世界に知らしめたものであります。
去る24日には、国賓として来日中の米国オバマ(Barack Hussein Obama II)大統領に拉致被害者ご家族である飯塚代表及び横田ご夫妻が面会をされました。私もその場に同席しました。
横田さんからめぐみさんの写真を見せられたオバマ大統領は、「自分にも二人の娘がいる。拉致被害者ご家族の気持ちは大変よく分かる」と真剣な表情で見入っておられました。
大統領から拉致問題に対し、わが国のトップ・プライオリティの取り組みに改めて指示が示され、我が国と緊密に連携し取り組みたいとの意向が表明されたことは、大きな意味を持つものだと考えております。
拉致問題の解決に向けて国際社会全体が、解決の機運が明らかに高まってきている中で、今回の国民大集会が拉致問題を早期に解決するという国民の総意を国際社会に向けて訴えることとなり、拉致問題解決への一層の推進力となるようさらなるご支援となるようお願いして、私の挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。

平成26年4月27日
内閣総理大臣 安倍晋三
代読 内閣官房長官 菅 義偉

今メッセージの中に、総理が言及されました決意を踏まえ、私も官房長官として、古屋拉致問題担当大臣と政権をとりまとめ、総理を支え、その実現のために尽力してまいりますことをお伝えをしてご挨拶といたします。
本日は誠にありがとうございました。



◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《神奈川県警公開特定失踪者・松澤清子さんについて》
◆氏名:松澤 清子
(まつざわきよこ)
◆旧姓:清水
◆当時の年齢:35歳(昭和53年当時)
◆当時の住所:神奈川県横浜市港南区
◆職業:会社員

【失踪状況】
昭和53年5月、「買い物に行く」と言い残し、自宅を出た後、行方不明になっています。