もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂編

4月27日、東京都千代田区日比谷公会堂拉致問題解決のための集会が開かれました。

始めに、北朝鮮による拉致被害者田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんが
「私もいつも、誰かと会うたびに『もう我慢出来ない』と話しています」
と話し、家族は我慢の限界に来ていると訴えました。

「3月以降、いろんな動きが出て来た。今までに無い動きが出ている」
飯塚繁雄さん。拉致被害者田口八重子さんの兄)

飯塚繁雄さんは3月の国連調査委員会(COI)の報告書が公表されて以降、今までに無い拉致問題解決の動きが出て来たと話しました。
飯塚さんは国連人権理事会での北朝鮮代表の態度について触れ、改めて、「拉致は北朝鮮による犯行」と指摘しました。

北朝鮮の代表は私が話し始めると、『あいつは何だ』とテーブルを叩いて抗議しました。この場面を見て、各国も北朝鮮がそんな国だと思ったし、その態度そのものが犯行を認めたもの」
飯塚繁雄さん)

COIの調査報告書について、集会に参加した古屋圭司拉致問題担当大臣
「私たちの期待以上のものが上がってきた。総力戦の勝利だ」
と述べ、北朝鮮にとって非常に厳しい内容の報告書だったことを明かしました。
また、古屋大臣は調査報告書に政府に拉致認定されていない特定失踪者のことが明記されたことについても話しました。

「今まで860人いる特定失踪者のことは国際社会に知られていなかった。しかし、今度は特定失踪者のことが世界中に知られた。これもまた、北朝鮮にとって圧力になる」
古屋圭司拉致問題担当大臣

また、飯塚繁雄さんは再開された日・朝協議について
「協議すればいいというものではなくて、協議の結果が欲しい。北朝鮮にだまされないようにして欲しい」
と話しました。
日・朝協議については古屋大臣も
「対話のための対話ではなくて、解決のための対話だ」
と明言しました。
また、みんなの党井上義行議員は
「話し合いが進展ではなくて、結果が進展」
と述べ、結果を出すための協議でなければならないと強く主張しました。

日本維新の会の三宅 博議員からは厳しい指摘がなされました。

「日本人拉致の実行犯は今も日本国内でのうのうと生活している。犯人を1人1人挙げていかなければならない」
(三宅 博議員)

三宅議員は今もなお東北地方で愛人とのうのうと暮らしている田中 実さん拉致事件の主犯格の男や、多くの日本人拉致に協力した朝鮮総連構成員や「土台人(どだいじん)」と呼ばれる連中を念頭に、厳しく指摘しました。

集会には各地の知事も駆けつけ、拉致問題解決を訴えました。

「(実力行使による被害者救出には)法的にいろんな課題があるかも知れないが、被害者を取り返せ!」
上田清司埼玉県知事)
「日本国民を取り戻せるのは、日本国民だけなんです」
泉田裕彦新潟県知事)
「地方行政を預かる者として、(拉致事件は)絶対に許すことの出来ない事案」
山田啓二京都府知事)
松本京子さんのお母さんは京子さんに再会すること無く亡くなられた。今こそ拉致被害者を取り戻すべき!」
平井伸治鳥取県知事)

埼玉県の上田知事は実力行使を視野に入れた拉致被害者救出を訴え、鳥取県の平井知事は拉致された娘・松本京子さんとの再会を果たせぬまま死去した母親の無念を訴えました。
また、新潟県の泉田知事は
「今後、新潟県内で拉致問題の集会が開かれるときは、集会に参加しない団体を“優先的”に参加させる。絶対に拉致問題を風化させない」
と話し、拉致問題を風化させないことを明言しました。

「こういう集会を結果の報告の集会にしたい」
こう話した飯塚繁雄さんの願いを叶えるためにも、日本政府はこれまで以上に真剣な取り組みをしなければなりません。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。