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【みんな生きている】田口八重子さん/FNN(2)

北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの両親、滋さん・早紀江さんと孫のキム・ウンギョンさんとの面会が行われ、北朝鮮による拉致問題の今後が注目される中、スイスで開かれた国連の人権理事会で3月17日、拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表のスピーチを北朝鮮の大使が遮り、議事の進行を妨害する一幕がありました。
飯塚さんは
「妹は工作船北朝鮮の港に着いた直後に、『自分には幼い子どもがいるから、日本に帰してほしい』と、必死で頼んだといいます」
と述べました。
拉致された妹・田口 八重子さんの写真を手に、日本政府代表団の一員として、スピーチに臨んだ家族会の飯塚さん。
八重子さんが拉致された当時の様子を語っていたその時、北朝鮮の大使が「彼(飯塚さん)が、日本政府の代表なのか、はっきりさせてほしい」と発言しました。
北朝鮮の大使はネームプレートで机を叩き、「飯塚さんは日本政府の代表団ではない」と抗議しました。
飯塚さんがスピーチを続けると今度は立ち上がり、そのまま退出したため会議場は騒然となりました。
飯塚さんは、
「わたしがあそこに出現すること自体、やっぱり嫌がってるんですよね」、
「予測したことですから、わたしは、びっくりしませんでしたが…」
と語りました。
飯塚さんは
北朝鮮による拉致被害者は世界で20万人いる」
と、解決に向けた協力を訴えました。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」
(石高健次さん)

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

《特定失踪者・金田竜光さんについて》
◆氏名:金田 竜光
(かねだたつみつ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ
◆生年月日:昭和27(1952)年
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:180cm
◆当時の身分:ラーメン店店員
◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木
◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】
金田さんは韓国籍
田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。
昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。
半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。
田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。
連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。
その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。
救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・植村留美さんについて》
◆氏名:植村 留美
(うえむらるみ)
◆失踪年月日:平成7(1995)年3月26日
◆生年月日:昭和46(1971)年7月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:大阪府堺市美原区
◆身長:165cm
◆体重:74kg
◆当時の身分:無職
◆特徴:
1)近視
2)色白
3)小太り
◆靴のサイズ:24.5cm
◆失踪場所:大阪府南河内郡美原町の自宅付近

【失踪状況】
同日朝6時ごろ、散歩に出たまま行方不明。
昼頃、駅など心当たりを探したが見つからないので夕方に警察に届けを出す。
近所の人たち、父の会社の社員など30人で川、山、小屋、空き家などを10日ほど探すが手がかり、目撃者なし。
当時、軽装で遠出する服装でなく、財布、バックも持たない。

《特定失踪者・金田祐司さんについて》
◆氏名:金田 祐司
(かなたゆうじ)
◆失踪年月日:平成8(1996)年8月22日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:36歳
◆当時の住所:大阪府堺市
◆当時の身分:学生(直前まで大阪府職員)
◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】
平成8年7月、MBA取得のため渡米。
8月14日に留学先のロサンゼルス着の電話が実家にあったが、24日に「病気になったので帰国して治療する」との手紙(19日付)が実家に届く。
入管、関空に問い合わせると、20日に関空に帰国していることが分かった。
また、帰国後ATM等から預金を引きだしている(防犯カメラにて本人であることを確認)。
以後行方が分かっていない。

大阪府警公開特定失踪者・山本恭子さんについて》
◆氏名:山本 恭子
(やまもときょうこ)
◆年齢:24歳(昭和48年当時)
◆当時の住所:大阪府堺市
◆当時の職業:会社員
◆身長153cm
◆血液型:O型
◆特徴:
1)中肉
2)色白
3)右肩と右肘に火傷痕

【失踪状況】
昭和48年8月6日、堺市内の自宅から300メートルほど離れた歯医者で治療を受け、午後7時頃に同医院を出てから行方不明となっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。