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【みんな生きている】張成沢編[失脚]/NHK

北朝鮮は12月9日、金正恩キム・ジョンウン)第1書記の叔父で後見人とされる張成沢チャン・ソンテク)国防委員会副委員長(朝鮮労働党行政部長)をすべての職務から解任して、朝鮮労働党から除名することを決めたと発表し、国営テレビは会議場から連行される張行政部長の写真を公開しました。
実力者として強い影響力があった張行政部長の失脚によって、北朝鮮の権力構造の再編が進むものとみられます。
これは、北朝鮮朝鮮労働党の政治局が、8日に平壌で開いた拡大会議で決定し、9日朝、発表したものです。
国営テレビは、9日午後、眼鏡をかけてひな壇に座る金第1書記の姿等、会議の様子を写した多数の写真とともに決定の内容を伝えました。
このなかで、金第1書記は、叔父で後見人とされる張国防委員会副委員長を呼び捨てにし、「張成沢は、反党反革命的な分派行為を行い、強くて盛んな国、強盛国家の建設や、人民生活の向上のための闘いを阻害した。資本主義に染まって不正腐敗を行い、堕落した生活を送った」等と厳しく糾弾しました。
そのうえで会議では、張行政部長をすべての職務から解任して党から除名することが決定され、国営テレビは、大勢の出席者が見守るなか、会議場から連行される張行政部長の写真も公開しました。
張行政部長を巡っては、韓国の情報機関が12月3日、側近2人が先月処刑され、張行政部長自身も失脚した可能性が高いとする見方を示し、これを裏付ける形で、国営テレビが7日再放送した記録映画の中で張行政部長が映っているシーンが削除されていました。
張行政部長は、2年前に死去した金正日キム・ジョンイル)総書記の妹の夫という立場を背景に、実力者として強い影響力を誇っていましたが、その張行政部長が失脚したことで、北朝鮮の権力構造の再編が進むものとみられます。


■失脚の理由は

8日開かれた朝鮮労働党政治局の拡大会議での金第1書記の発言から、実力者だった張行政部長が失脚に追い込まれた理由が見えてきます。
この中で金第1書記はまず、「張成沢は、自分に対する幻想をつくり出し、党内に分派を形成しようとした」と指摘しています。
金第1書記を中心とする指導体制に反して、張行政部長が自らの勢力を作ろうとしたと非難したわけです。
また、金第1書記は、「司法・検察・人民保安機関に対する党の指導を弱めた」、「国の経済発展と人民生活の向上のために主要な役割を担う部門を、巧妙な方法で掌握した」と主張し、張行政部長がトップを務め、公安・司法機関を統轄する党の行政部が幅を利かせ、経済利権を独り占めしようとしたことが問われたことが分かります。
さらには、「資本主義に染まって不正腐敗を行い、堕落した生活を送った」として、女性問題や麻薬の使用にまで言及し、張行政部長を「反党反革命」という最も厳しい言葉で糾弾しています。


■側近の解任相次ぐ

金第1書記は、2年前の父・金総書記の死去を受けて最高指導者となって以降、党や政府、軍において金総書記の時代から仕えてきた幹部を次々と更迭してきました。
一昨年12月、平壌で行われた金総書記の告別式では、棺を載せた車の両側に、金第1書記と側近7人が寄り添って歩き、この8人が新体制の中核になるものとみられていました。
ところが、後見人の1人とされた当時の李英鎬(リ・ヨンホ)軍総参謀長が、去年7月にすべての職務から解任される等、側近たちが次々と第一線から退いていきました。
告別式で金第1書記のすぐ後ろを歩いた張成沢国防委員会副委員長が今回失脚したことで、宣伝と教育を担当する80代の長老2人を除いて合わせて5人が姿を消したことになります。
一方、金第1書記の下で、これまでに党や軍の主要幹部の半数近くが交代したとみられており、新体制になって頭角を現した幹部の代表格である崔竜海(チェ・リョンヘ)朝鮮人民軍総政治局長が、今後、金第1書記を最も近くで支えていくことになるとみられています。


■韓国「動向を注視」

韓国統一部のキム・ウィド報道官は、9日の記者会見で、北朝鮮が金第1書記の叔父で後見人とされる張成沢国防委員会副委員長をすべての職務から解任し、党から除名することを決めたと発表したことについて、「これまで張成沢失脚説が出ていたが、きょうの北朝鮮の報道を通じて、公式に粛清が確認できたと言える」と述べました。
またキム報道官は、9日朝の北朝鮮の発表では、張行政部長が、朝鮮労働党に反する分派行為を行った等と極めて詳しく言及されていると指摘し、張行政部長の失脚の原因を、さらに分析していることを明らかにしました。
そのうえで、今後の金正恩体制について、「予測するのは難しいが、さまざまな可能性を念頭に置き、北朝鮮の内部動向や対外関係を注意深く見ている」と述べて、引き続き北朝鮮の動向を注視していく考えを示しました。


■中国「引き続き友好に努力」

中国外務省の洪磊報道官は9日、記者会見で「関連の報道に留意している」と述べ、張行政部長の失脚による現体制への影響など、事態の推移を注意深く見守っているものとみられます。
一方で、洪報道官は、中国への影響については「これは北朝鮮内部の話だ」と述べ、評価を避けました。
そして「我々は友好的な隣国として、北朝鮮の安定と経済発展、人々の幸せを望んでいる。中国は、引き続き北朝鮮との伝統的な友好協力関係の推進に向けて、努力していく」と述べ、中国と関係が深いとされる張行政部長が失脚しても引き続き中・朝関係の発展に努める姿勢を強調しました。


拉致被害者家族「迅速な情報収集を」

拉致被害者の家族会代表で田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんは、「北朝鮮の権力機構が政権争いのような形で混乱し、拉致問題の解決がさらに遠のかないか心配だし、被害者の身に危険が及ばないか懸念せざるをえない」と話しました。
そのうえで「日本政府の北朝鮮に関わるすべての省庁が至急、情報を収集し、どのような影響が考えられるのかきちんと分析してもらいたい」と述べ、迅速な情報の収集と分析を政府に求めました。



《参考・張成沢行政部長って、どんな人?》

【忠臣?簒奪者?張成沢行政部長って、どんな人?(2011年)】

「側近とのパーティーで酔った金正日キム・ジョンイル)が、理由はわからないが張成沢チャン・ソンテク)の頬を殴った。他の側近ならば『自分は終わりだ』と感じ手足が震えるはずだ。しかし、張成沢は私のほうを見て笑った。度胸があり、カリスマもある」
韓国に亡命した故ファン・ジャンヨプ元朝労働党書記は「北朝鮮金正日の他に自分の名前で人を使う唯一の人物が張成沢だ」と語っていた。


■2度の失脚と復活

金総書記の妹・金敬姫キム・ギョンヒ軽工業部長の夫である張成沢行政部長は周りを自分の側近で固めようとしたため、金総書記によって2度失脚した経験を持つ。
張成沢氏は1978年、東平壌外交招待所で週1回自分の側近たちとパーティーを開いていたことから保衛部に摘発された。
報告を受けた金総書記は「おまえはなぜ私の真似をするのか?」と責め、張氏を降仙製鋼所の作業班長へと追放した。張氏はそこで2年間の「革命化教育」を受けた。
当時、張氏を救ったのは金総書記の妻で金正男キム・ジョンナム)氏の母にあたる成恵琳(ソン・ヘリム)氏だ。成氏は1980年2月16日、金総書記の誕生日に張氏を強引に呼んで金総書記の前に立たせ、「張成沢を許して欲しい」と頼んだという。
張成沢氏が金総書記の信頼を取り戻したのは1989年の平壌世界青年学生祝典の前後だ。当時、平壌再建設事業を担当していた張氏は全国から資材と人材を集め、期限内に工事を終えた。
金総書記は張氏を「努力英雄」として称賛し、1989年に三大革命小組部長、1995年に朝鮮労働党組織指導部第1副部長等に抜擢した。
また、同時期に張氏の長兄・張成禹(チャン・ソンウ)次帥は平壌防衛部隊の第3軍団長に昇進し、次兄・張成吉(チャン・ソンギル)中将は戦車軍団政治委員として活動する等、張3兄弟は順調に出世した。
しかし、張成沢氏は2004年初め、側近の豪華な結婚式に出席したことが問題になり、派閥形成の疑いで再び失脚した。当時の朝鮮労働党で「張成沢人脈」とされた幹部も全て左遷された。張氏は1978年の時とは異なり地方には追放されなかったが、全ての職位を失った。
2年間公の場から姿を消した張氏は2006年、組織指導部第1副部長として復帰したのに続き、2007年末には行政部長に昇進して司法・公安機関を統括した。
韓国治安政策研究所のユ・ドンリョル先任研究官は

「金総書記が張行政部長を牽制しながらも右腕として使ったのは、同母妹の金敬姫軽工業部長の夫だからではないか。金総書記は晩年を迎えるほど、親戚や金日成(キム・イルソン)主席の側近の子孫にあたる革命第2世代を重用する傾向を見せた」

と分析した。


■No.2か?簒奪者か?

金総書記は生前、派閥の形成を全く許さなかった。しかし、張行政部長には2度も警告しながらも「金正恩の後見役」を任せた。
北朝鮮消息筋は

「義弟である張行政部長の能力を知っていたため、妹の敬姫氏とともに若い後継者を守って欲しいという意味だ」

と分析した。
しかし、張行政部長が金総書記の意志を最後まで貫くかどうかはわからないとの見方も少なくない。国防委員会副委員長兼行政部長として公安機関を掌握しているため、反対派の監視と支持勢力の拡大にも有利な地位にあるためだ。
張行政部長は軍の将軍だった2人の兄の威光を背景として、李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力部長たち軍の実力者にも近い。
張行政部長は2002年には経済視察団の一員としてソウルを訪れたこともある他、中国にも人脈があるとされる。また、張行政部長は改革・開放に積極的だとの見方もある。
こうした理由から、韓国情報当局者からは

「(張氏が)首陽大君になることもあり得る」

という分析も聞かれる。
2001年まで13年間金総書記の料理人を務めた藤本健二氏は

「2000年頃、張成沢氏の役職が組織指導部第1副部長から(ヒラの)副部長へと降格されたことがあったが、誰も張氏を『副部長』と呼ぶことが出来ず、『部長』と呼んでいたほど威勢があった」

と話した。
張行政部長の性格についての評価は分かれる。
張行政部長と一緒に朝鮮労働党内で働いたことがある脱北者

「ユーモアのセンスに優れ、ソフトな方だ。相手の気持ちに合わせるスタイルだ」

と語った。
しかし、ある幹部出身の脱北者

「冷たい」

と証言した。
張行政部長のライバルだった李済剛(リ・ジェガン)組織指導部第1副部長は昨年5月末、張行政部長が国防委員会副委員長に昇進する数日前に疑わしい交通事故で死亡している。

【首陽大君】
15世紀に朝鮮王朝の第6代国王・端宗から王位を奪い、自ら王位についた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)