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【みんな生きている】拉北者編

《休戦協定後の拉北者、516人》

韓国統一部は10月14日、朝鮮戦争の休戦協定(1953年7月27日)が結ばれて以降、北朝鮮に拉致され拘束されている韓国人は516人と推定されると明らかにした。統一部が国会外交統一委員会所属の与党議員に提出した国政監査関連資料で明かしたもので、休戦協定締結後、3,835人が拉致された。うち3,319人が脱北・帰還し、516人が北朝鮮に残ったままだという。
拘束者は漁民が457人で最も多く、軍や警察の関係者が30人、1969年に起こった大韓航空機(KAL機)ハイジャック事件による乗員乗客たちが11人。
統一部は拉致被害者(拉北者)問題について、

「普遍的な人権レベルで国の基本的責務と認識している。南北関係において、優先的に解決すべき課題。北朝鮮と協議する」

としている。



《参考・「漁民ジョンス」について》

【人質外交と人権侵害の典型。2組の拉致被害者家族について(2009年)】

9月26日~9月28日にかけて、北朝鮮金剛山で南北離散家族が再会しているとき、韓国では悔し涙を流す2組の拉致被害者家族がいた。
韓国政府は今年7月末まで韓国側の家族と連絡を取っていた拉致被害者を再会事業に含めて欲しいと要請したが、北朝鮮側が「連絡途絶」という話にならない理由で再会を許可しなかったためだ。


■韓国人拉致被害者ホ・ジョンスさん

9月28日の韓国人拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表の話によると、1975年8月、日本海上でイカ釣り漁船・チョンワン号に乗船中、北朝鮮に拉致された船員のホ・ジョンスさん(56歳)は今年7月まで崔代表と韓国の家族が北朝鮮に送った連絡ノートを通じて近況を伝えていた。
「漁民ジョンス」と呼ばれているホさんは、1日でも出勤しないと人民班長や担当者が訪ねて来て確認するほどの監視を受けながら暮らしていると話していた。連絡ノートを通じて4回便りを交わすと、故郷や両親、兄弟への恋しさが募り「夜、眠れそうにない」と打ち明けたという。特に、父親のホ・ソンマンさん(92歳)が生きているとの便りに「親兄弟に会ってから死にたい。(具合が悪く)短い余生、怖いものはない」とまで話していたという。ジョンスさんと一緒に拉致された兄のヨンホさんは北朝鮮で死亡したという。ジョンスさんは2004年2月に初めての手紙を、2004年4月と2005年11月にも手紙と北朝鮮で撮った写真を送って来た。
朝鮮日報』紙が取材で訪ねた父親のホ・ソンマンさんは、息子の手紙を取り出して目を赤くした。ソンマンさんは

「息子の顔を一目見てから死のうと、喉を通らないごはんを無理矢理飲み込んで今まで耐えて来たのに」

と話した。
また、

「夢にも(息子が)出て来る。忘れられない」

と話し、息子の写真を抱き締めた。
北朝鮮はホさんについて「連絡途絶」を理由に家族と再会させなかった。息子たちを待ちわびていた母親は1989年に亡くなった。


■韓国人拉致被害者アン・スンウンさん

韓国側は1995年7月、中国の延辺で脱北者を助けていたときに北朝鮮に拉致されたアン・スンウン牧師(58歳)と家族の再会を実現させるためにアン牧師の生存確認を要請したが、北朝鮮は「確認不可能」と通知して来た。
中国公安当局は事件直後、アン牧師を拉致した北朝鮮工作員のイ・ギョンチュン等3人を逮捕、中国吉林省の裁判所がイ・ギョンチュンに対し懲役2年を言い渡したのにも関わらず、北朝鮮はアン牧師の拉致を否認している。
しかし、崔代表は9月28日、アン牧師が1997年~1998年頃に平壌の鳳岫教会やチルゴル教会で説教する場面を撮影した13分40秒ほどの動画を公開した。これは北朝鮮の関係者から入手したものだ。北朝鮮の教会での礼拝場面を収めた動画が公開されたのは今回が初めてだ。
アン牧師の妻のイ・ヨンスンさん(59歳)は

「夫の説教場面が映った動画があり、最近でも平壌で夫を見たという話を直接・間接的に聞いているのに“確認不可能”と言って来る北朝鮮は本当に厚かましい」

と語った。
アン牧師は鳳岫教会で3、4人の外国人男女がいる中で説教をしており、礼拝直後に北朝鮮の信者たちの手を握り「我々の願いは統一」を歌った。また、チルゴル教会では「アン・スンウン牧師歓迎礼拝」という垂れ幕の前で説教していた。
イ・ヨンスンさんは

「1990年代後半に、あるインド人牧師が平壌で夫を見たと言っていて、夫が“助けて下さい”という眼差しを送っていたと話していた」

と語った。
北朝鮮は外国人に対し「北朝鮮にも宗教の自由がある」ことを見せるため、教会を何ヶ所か運営している。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)