もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(1)-2田口八重子さん

本間 勝(田口八重子さんの兄)

台風の通過する時刻に入り、本当に皆さん来てくれるのかなという心配もしておりました。たくさんの人が来てくれて、これが(今年)第2回の国民大集会だと、立派に成功したと思っております。
八重子のことを話す前に、2点ほどお願いしておきたいんですが、「拉致問題を考える埼玉県民のつどい」を今月21日の土曜日、浦和の埼玉会館で行います。
拉致問題解決のために私たちにできることというテーマです。兄の飯塚繁雄、八重子のこどもの耕一郎、それと特定失踪者の家族の藤田さん、そして荒木先生が講演します。
それと9月22日の日曜日に全国一斉活動ということで、特定失踪者の方々が渋谷のハチ公前広場で署名運動を行います。街頭演説、チラシ配布、パネル展も予定されています。全国一斉活動を東京も負けないようにやりたいと思います。全国一斉活動は9月21日から23日までやっています。
八重子は35年前の6月29日に、北朝鮮によって拉致されたと言われていますが、事実は6月10日頃から行方不明になっています。当初は家出したんだろうということで、兄が子どもを引き取って面倒をみました。
そのうち帰ってくるだろうという気持でいましたが、これは先ほど惠谷先生の言われた人定拉致です。狙いをつけられた拉致だと分かっています。在日工作員の(日本名)宮本 明が主犯になって東京の池袋から拉致していったわけです。
八重子は非常に自立心が強くて、(二人のこどもを抱え)生活のために、「ハリウッド」等で接客の仕事をしていたんですが、そういった派手なところに入ったために狙われた。1人を狙うためには10人の工作員に協力する者がいると聞いております。
最近の情報では、ある一人の人物が、宮本 明の他に浮上して、捜査をしているというところまで行っています。そういった工作グループが判明すれば、芋蔓式に出てくるのではないかと思います。
八重子が一番狙われたのは、朝鮮総連の幹部の指示だということになっています。朝鮮総連の幹部の指示のもとに、宮本 明が実行犯となっていますが、犯人は未だに捕まっていない。
そして八重子はだまされて連れていかれた。当初はどこかぐるぐる案内されて、ある日宮崎の海岸から北朝鮮南浦に連れていかれて、そこで初めて自分は拉致されたんだと気がついたみたいで、上陸する時に自分のお腹をみせて、当時1歳と3歳の子どもがいましたから、妊娠線がこのようにあるんだと、日本に返してくれと何回も、何回も訴えたそうですが、狙われた関係で非情にも工作員の育成のためということで未だに帰国できない。
そして冒頭兄が述べましたが、八重子のすぐ上の姉が61歳で亡くなりました。
八重子に会わせてやりたかったですが、無念にも、会えずにこの世を去っていきました。亡くなる3週間前は生きる意欲が強くて、3度の開腹手術にも耐えたんです。病院の先生は、まだ悪い箇所があるから4度目の開腹手術で小腸、大腸を取るというようなことでしたが、私たちはもうここまできて、これ以上生存が難しければ、体を痛めないでくださいということで、時間の問題だということは覚悟しました。
本当に八重子が帰ってこれないで兄弟が一人欠け、私自体も循環器内科に通うような、カテーテル治療もやっている身なんですが、私たちは常日頃、時間との勝負だ、一時間でも一分でも早くこの問題を解決して、会わせてほしいと。
5人が帰ってきましたが、それ以来、実績は何一つありません。隣の松木さんのお母さん、薫さんのお母さんは相当な高齢で命の問題も抱えています。斉藤さんも言っていました。「拉致問題の解決のためには、本当に全被害者が帰ってきてもらわないと困るんですが、そういう命が危ない人のためには、一時帰国もやむをえないのではないが、会わせてほしい」と。「会わせてあの世に送ってあげたい」という気持を言っていました。
まさに取戻すための戦いは毅然として、北朝鮮に負けないように、制裁をガンガンかけてやらなければならないと思います。
しかし、時間を待てない人もいるんだということを政府にも分かってほしい。そういう手段も是非やってもらいたいとのお願いをこの場でしたいと思います。
よろしくお願い致します。



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)