もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】日比谷公会堂(9)有本恵子さん

有本明弘(有本恵子さんの父。家族会副代表)

《台風のため、メッセージのみ》

平成25年9月16日、本日拉致被害者家族である私達の集会に出席していただき、ありがたく御礼申し上げます。
私は、『国民新聞』の本年の年頭所感に書いた通り、安倍総理の政治情念に心酔する一人であります。
安倍総理は、憲法改正を唱え、衆議院選・参議院選に大勝しました。
前回の集会で私は、「参議院選では投票箱を一つ余分におけば国民投票も出来る」とまで申しました。
安倍総理は、強い日本を作るといっておられます。
それが、我が国の憲法を改正することなのであります。
安倍総理は、憲法改正に向けて自民党に全国対話集会の開催を指示していると聞いています。
強い憲法が無ければ北朝鮮に強い交渉は出来ません。
両国のトップ同士が話をするしかないという話は何度も聞いていますが、これは無責任な発言であり、今のままでは北朝鮮にだまされるだけであります。
前回の安倍総理は、短命で突然辞めて無責任だとのレッテルを貼られてしまったが、その間色々な学習をして、そのレッテルをはねのけ自民党総裁選を戦い現在の安倍総理があるのです。
これが真の政治家の信条と私は思っています。
私は、安倍総理国民投票を成功させることが、北朝鮮との拉致問題交渉のスタートだと思っています。
一部の人には話していますが、今日会場にいらっしゃる全員が私の考えを知ってくれると思っています。
現在、中国の問題、北朝鮮問題、東北の問題、福島の問題等、安倍総理の仕事は山積となっています。
健康に留意していただき、これら問題に取り組んで下さるようお願いいたします。

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
副代表 有本明弘



◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(拉致被害時23歳)
欧州にて失踪。
よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

《参考・よど号ルート拉致》
【そのスパイ、通称を「KYC」(『産経新聞』2013年)】

「初めての顔だ。この女は誰なのか…」
写真を見た某国の治安関係者も、隠し撮りをした情報当局者も、分からなかった。写真を受け取った日本の警察当局もそうだった。
1983(昭和58)年夏、デンマークコペンハーゲンカストロップ空港。
搭乗待ちでベンチに座る女性は所在なげだ。
隣に座る男は、この地では“常連”の北朝鮮工作員、「KIM YUCHOL」(キム・ユーチョル)。各国の情報機関が「KYC」と呼ぶ男だった。
コペンハーゲンでのKYCの動きは盛んだった。

[1981年3月、北朝鮮外交旅券を使ったよど号乗っ取り犯・柴田泰弘元メンバー(故人)と、別の実行犯の妻(60歳)と一緒にベルリンに出国]
[1982年2月、よど号犯の元妻(57歳)とベルリン経由でモスクワに]
[1982年3月、よど号犯の妻(67歳)と別のメンバーの妻(56歳)と接触し、一緒にモスクワ経由で北朝鮮に向かった]

複数の国の情報機関が把握したKYCの行動のほんの一例だ。日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った元共産主義者同盟(共産同)赤軍派のメンバーや、後に合流したその妻たちとの接触が極端に目立った。そのため、KYCと接触した人物の特定は大概できた。
だが、1983年夏にカストロップ空港にいた女性は分からなかった。


■大使館員に偽装

1938年4月17日、平壌生まれ。
身長170cm、
痩せ形、
眼鏡使用…
KYCの「人定情報」だ。
関係者によれば、よど号犯メンバーが北朝鮮に渡って間もないころから、指導員を担当。1972年5月にメンバーたちが平壌で記者会見した際にも同席していた。
日本語が流暢で、1978年には別人名義で査証を申請し、日本にも入国していた。「カラオケは都はるみの『北の宿から』が上手だった」(関係者)という。

その後、欧州での工作活動を本格化させた。
日本の警察当局に寄せられたKYCの経歴は、1978年11月、在デンマーク北朝鮮大使館勤務。
1980年秋、在ユーゴスラビア(当時)北朝鮮大使館勤務。
1981年、ユーゴスラビア(同)・ザグレブ北朝鮮総領事館副領事…
少なくとも1984年5月まではザグレブ総領事館にいたという。
ただ、各国の情報機関はKYCが単なる大使館員ではなく、「部長級の工作員」とみていた。
警察関係者はこう話す。

「当時のザグレブコペンハーゲン、ウィーンとともに西欧への工作活動上、重要な拠点だった。情報収集要員として合法的に韓国に旅行するエージェント(協力者)を養成したり、接触する場所でもあった」


■拉致直前の写真

[途中で合流した有本恵子君供々、平壌市で暮らして居ります]
原文ママ)。
1988年9月に欧州で失踪した札幌市の石岡 亨さん(拉致被害時22歳)の実家にエアメールが届いて以降、謎は徐々に解けていった。
KYCとカストロップ空港にいた女性はイギリス留学中の1983年に姿を消した有本恵子さん(拉致被害時23歳)で、北朝鮮に拉致される直前の写真だった。
有本さんが北朝鮮女性名義の偽造旅券で出国していたことも発覚を遅らせた原因だった。
その後、有本さんをロンドンで獲得対象に定めたよど号犯の柴田元メンバーの元妻(57歳)が警察当局に、有本さんをコペンハーゲンまで誘い出し、KYCとよど号犯の魚本(旧姓・安部)公博容疑者(65歳)に引き渡したと話したことで、拉致事件の詳細が浮かび上がった。それぞれの足跡は交差していた。
北朝鮮に「獲得対象者」を入国させるにはアシストが必要になる。
よど号犯グループと指導員だったKYCの動きからは、北朝鮮当局がよど号犯グループの活動を容認し、コントロールしていた様子がうかがえる。それは、金正日キム・ジョンイル)総書記の意向なしには、成しえなかったはずだ。