もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】日比谷公会堂(10)増元るみ子さん

増元照明(増元るみ子さんの弟。家族会事務局長)

ありがとうございます。
私も副代表と同じように、このような天気で、1階席の半分も来てくださればいいのかなと思っていましたが、このように大勢の方に来ていただき、感謝申し上げます。本当にありがたいと思っています。
先日、2020年東京オリンピック招致が決定しました。あの時の招致の力というのは、オールジャパンというか、政財界全員で東京にオリンピックを招致したいという強い思いが、あの夢を実現させたと思います。
実は、前回の1964年、横田めぐみさんが産声をあげておられます。その東京オリンピック開催の年に生まれた横田めぐみさんを、是非東京オリンピック開催招致が決まったこの年に必ず取戻すという強い決意を、総理には見せていただきたい。
そして東京招致を実践し、実施したすべての方々にも、お願いしたいんですが、このオールジャパンの力で拉致問題を解決するという気運を、流れを築きあげていただきたい、その思いを表にしていただきたいと思います。
私の姉は、1978年8月、北朝鮮に中国経由で南浦に連れて行かれたようです。
先ほど、祐木子さんの話がありましたが、当初は、南浦に上陸する時に、既に足腰が立たない状況で、北朝鮮工作員に両肩を抱え上げられて上陸した状況だったそうです。
そして、泣いて、泣いて、泣いていたそうです。私の姉は小さい時から泣き虫でしたから、きっと本当に悲しかったのだろうと思います。
その彼女としばらく共にした祐木子さんとも、突然別れをしなければならない時に、姉は車から泣きながら別れ(の言葉)を言っていたそうです。
私は決して、金正日キム・ジョンイル)とその一派を許すことはありません。これが家族の気持です。
姉に対して、そのような非道なことを行った金正日とその一派を、必ず断罪しなければならないというのが私の思いです。
この思いを国民の皆さん、そして永田町にいるみなさんに共有していただきたいと思っています。
私は、あらゆる方法で被害者を取戻してほしいと思っておりますが、1999年の最初の国民大集会の時に、私は申し上げました。私がもし為政者だったら、日本海イージス艦を並べます。これが家族の気持です。色々な状況があって、できないのでしょうが、それがあって初めて日本の覚悟を示せるのではないでしょうか。
北朝鮮の命脈を断つには、中国をこちらサイドに寄せるべきですが、中国が我々国民の問題で協力してくれないのであれば、なぜ我々があの中国に経済協力をしなければならないのですか。ODAを直ちにやめるべきです。それが日本の覚悟を見せるということです。これが表向きの姿勢です。そうあってほしいと思っています。その流れを国民のみなさんに作っていただきたいと思っています。
よろしくお願い致します。



◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「るみ子さんは拉致された直後、ずっと泣いてばかりいたといいます。洋服ダンスの中で泣いていたら指導員に見つかってしまった、裏山にある栗の木の下で泣いたこともあった、怖くて招待所のおばさんの部屋で一緒に寝ていた、などと本人から聞きました。平壌市内のアパートに二人で住んでいたとき、夜、ベランダに出て外を眺めながら“帰りたいねえ”とお互い話しましたが、もうあまり泣くことはありませんでした。最初、いっぱい泣いたので、お互いの前でもう泣くことは無かったです」
拉致被害者・蓮池祐木子さんの証言)