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【みんな生きている】日比谷公会堂(11)松木 薫さん

松木信宏(松木 薫さんの弟)

みなさまこんにちは。
台風の中、大勢の方がお出でくださいましてありがとうございます。
私の姉(斉藤文代さん)は台風の影響でどうしても会場に来ることができませんでした。よろしくお伝えくださいと申しておりました。どうかお許しください。
私の兄は、今日の強制的な拉致とは違い、半分は自分の意思というか、だまされて北朝鮮に行きました。それからかなりの年数が経っています。故郷に帰りたくても帰れないという状況が数十年に及ぶというのは、明らかな人権侵害、拉致に当たるのではないかと思います。
北朝鮮から初めて「遺骨」というものが来たのは、私の兄でしたが、まず骨相鑑定の方で、本人ではないという報告を受けました。「それ以外にもまだあるんですよ」と、詳しいことは私は直接聞いてないんですが、後に考えれば、横田さんの時のDNA鑑定が出たので、政府もそういうことを想定されていたのかなと思います。
ある意味、実験台だったのかもしれませんが、実験台で大いに結構だったと思います。私の兄も本人のものではなかったし、横田さんも本人のものではなかった。そういうことで、本人たちは生きている。死んでいる証拠は何もないので、家族としては生きているとしか思いようがないという状況です。
そういうことも踏まえて、北朝鮮から学習させてもらったといえば何ですが、こちらが知っている情報をむやみやたらに口に出すと、向こうはさらに学習して、さらにその上を、上をという形できているような感じがします。
私は極力、大事なことは外に言わないに努めています。それはなぜかというと、私の兄たちを拉致したのは北朝鮮人ではない、私は北朝鮮人だと思っていますが、同じ日本で生まれ育った人間(よど号ハイジャック犯)によって北朝鮮に連れていかれている。そういう憤りがあって、そういう気持でいます。
今後も、彼らが知りたいなと思うことは極力喋らないように。そして大事なことは政府の対策本部の方々、警察の方々に相談して、みんなで力を合わせて兄が、そして拉致された家族をみんな取戻せるようにやっていきたいと思っています。
本当は色々言いたいこともありますが、そこはグッと堪えて、やっていきたいと思います。
今後ともどうかよろしくお願い致します。



◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。