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【みんな生きている】特定失踪者編

北朝鮮に拉致された可能性が否定できない特定失踪者の家族たちが、東京・渋谷で被害者の救出を訴えました。
9月22日午後、渋谷駅のハチ公前に特定失踪者の家族や支援者、国会議員たち30人余りが集まり被害者の救出を訴え、署名活動を行いました。さらに、夜にはランプを手に道行く人々に訴えました。
政府が拉致認定した横田めぐみさんたち17人以外にも、特定失踪者ら拉致の可能性が否定できない人は700人以上いるとされ、支援団体の調査等から北朝鮮の関与が疑われる場合もあります。
家族たちは、この週末全国各地でこうした活動を行っていて、拉致問題への関心を高めたいとしています。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》
◆氏名:藤田 慎
(ふじたしん)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年
◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:165cmくらい
◆当時の身分:三菱重工に勤務
◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】
長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。
次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。
また、弟にお金を借りに来る。
その後音信不通。
失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。字体は達筆(本人の字体に似ていた)。差出人の名前がなかった。消印は世田谷だったようである。
昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・三浦和彦さんについて》
◆氏名:三浦 和彦
(みうらかずひこ)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月12日
◆生年月日:昭和27(1952)年3月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:156cm
◆当時の身分:福岡市博多区美野島の九州松下電器本社工場勤務
◆特徴:身長は母親(156cmくらい)と同じかもう少し高いくらい
◆失踪場所:福岡県糸島郡志摩町芥屋海岸と推定

【失踪状況】
波多野幸子さんとともに失踪。
1月12日会社に出勤。
三浦さんは退社前に同僚に前原に行くと告げ、波多野さんの残業が終わるのを待ったと思われる。
12日から帰宅せず。
15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。
両人の靴が片方ずつ落ちていた。

《特定失踪者・波多野幸子さんについて》
◆氏名:波多野 幸子
(はたのさちこ)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月12日
◆生年月日:昭和30(1955)年2月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:150cmくらい
◆当時の身分:福岡市博多区美野島の九州松下電器本社工場勤務
◆失踪場所:福岡県糸島郡志摩町芥屋海岸と推定

【失踪状況】
三浦和彦さんとともに失踪。
1月12日会社にいつもどおり出勤。
12日から帰宅せず。
15日、福岡県糸島郡志摩町芥屋大門近くの海岸に車が放置されているのが見つかる。車内に三浦さんの免許証、コートが置かれたまま。
両人の靴が片方ずつ落ちていた。

《特定失踪者・加藤久美子さんについて》
◆氏名:加藤 久美子
(かとうくみこ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年8月8日
◆生年月日:昭和23(1948)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:22歳
◆身長:155cm
◆体重:47kg
◆当時の身分:事務員
◆特徴:首の後ろに水疱瘡の跡8mm
◆特技:電話交換扱い
◆失踪場所:福岡県北九州市八幡区自宅近くの電停

【失踪状況】
妹と一緒に家を出て徒歩10分くらい離れた旧西鉄路面電車の大倉電停で別れたのが最後。その後消息不明。
いつも通りの服装だったので、小倉にある会社へ向かったと思われる。
「週末に編み物の先生とお茶会に行くので着物を出しておいて」という話をしていた。
北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1989~1990年、金正日政治軍事大学横田めぐみさんらと一緒にいた女性に似ている」と証言。
平成16年1月29日、八幡東署に告発状提出。

《特定失踪者・和智 博さんについて》
◆氏名:和智 博
(わちひろし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年
◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:158cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆当時の身分:建設作業員
◆特徴:
1)盲腸炎の傷跡
2)犬歯(左上、プラチナ)
◆失踪場所:福岡市内

【失踪状況】
昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。
44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》
◆氏名:尾上 民公乃
(おのうえみこの)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日
◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:161cm
◆体重:49kg
◆当時の身分:スナックのアルバイト
◆当時の住所:大阪府八尾市
◆失踪場所:大阪府南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】
5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。
その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。
その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。
尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。
翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。
ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。
遺体は発見されていない。
車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》
◆氏名:秋田 美輪
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。
秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。
まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。
この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。
この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。
そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。
これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。
さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。
この男は北朝鮮工作員とみられる。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。