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【みんな生きている】古屋圭司編

古屋圭司拉致問題担当相は6月1日、岐阜市で記者会見し、北朝鮮による日本人拉致問題の解明に向けた日本近海での海難事故再調査に関して
「どういういったケースでも、拉致の可能性があるものは徹底的に調査するのが内閣の基本的な考えだ」
と述べました。
また、拉致被害者救出への取り組みについては
「政府認定の有無にかかわらず、被害者全員を取り戻すのが政府の大方針だ」
と重ねて強調しました。

《特定失踪者・中野政二さんについて》
◆氏名:中野 政二
(なかのまさじ
◆失踪年月日:昭和30(1955)年9月24日
◆生年月日:昭和7(1932)年9月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の身分:漁船員
◆失踪場所:東シナ海海上

【失踪状況】
第12玉栄丸で操業中、他11名の乗組員とともに不明。

《特定失踪者・羽生弘行さんについて》
◆氏名:羽生 弘行
(はぶひろゆき
◆失踪年月日:昭和31(1956)年10月23日
◆生年月日:大正6(1917)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆身長:165cm
◆当時の身分:半農半漁
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡屋久

【失踪状況】
屋久島の栗生川の船着場から漁船で海上へ出たあと、他の乗組員4名とともに行方不明。

《特定失踪者・紙谷慶五郎さんについて》
◆氏名:紙谷 慶五郎
(かみやけいごろう)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:明治45(1912)年3月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:56歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷圭剛さんについて》
◆氏名:紙谷 圭剛
(かみやけいご)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷礼人さんについて》
◆氏名:紙谷 礼人
(かみやのりひと)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年4月11日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・紙谷速水さんについて》
◆氏名:紙谷 速水
(かみやはやみ)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年11月7日
◆生年月日:昭和26(1951)年1月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆当時の身分:漁業
◆失踪場所:北海道雄武町元稲府(おうむちょうもといねっぷ)北岸港から7km付近

【失踪状況】
父親の所有する漁船「圭運丸」(6トン)に息子の3人がともに乗船し、当日午前6時頃に北海道雄武町元稲府北岸港を出港し、港から7キロ付近にてイカ底建て網漁を操業。
帰港する他の僚船とすれ違って漁場に出て遭難。遭難当時はベタなぎだったが、潮の流れが速く、他の僚船は操業を中止していた。そのため、遭難現場を目撃した人物はおらず、付近に他の船が存在したかどうかも確認されていない。
船体は遭難付近の海底にて発見されたものの、引き上げ作業に失敗した。船の油や残留品などが海面で発見された後に、雄武町付近の海岸でも発見された。
乗組員4人の遺体は発見されないまま、捜査は打ち切られた。

《特定失踪者・金武川栄輝さんについて》
◆氏名:金武川 栄輝
(きんがわえいき)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日
◆生年月日:昭和26(1951)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆身長:164cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:漁船員(甲板員)
◆特徴:
1)右目か左目かのどちらかの目の白目のところに米粒半分位の茶色の斑点があった。
2)バレーボールが得意で、中学校で指導していた。
3)機械をいじるのが好き。
◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】
乗組員7名が失踪。
マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。
船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。
台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。
12月20日頃帰る予定が戻らず。
第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・牧志孝司さんについて》
◆氏名:牧志 孝司
(まきしたかし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日
◆生年月日:昭和12(1937)年11月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:40歳
◆当時の身分:漁船員(船長)
◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】
乗組員7名が失踪。
マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。
船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。
台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。
12月20日頃帰る予定が戻らず。
第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・田島清光さんについて》
◆氏名:田島 清光
(たじませいこう)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日
◆生年月日:昭和6(1931)年5月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:46歳
◆身長:174cm
◆体重:71kg
◆当時の身分:漁船員(漁労長
◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】
乗組員7名が失踪。
マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。
船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。
台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。
12月20日頃帰る予定が戻らず。
第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・儀間 隆さんについて》
◆氏名:儀間 隆
(ぎまたかし)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日
◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:漁船員(甲板員)
◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】
乗組員7名が失踪。
マグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9トン)で泊港を出航。波照間方面で操業後、11月18日平良漁港に入港。11月24日、平良港で燃料補給し出航。
船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。
台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。
12月20日頃帰る予定が戻らず。
第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。