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【みんな生きている】ラオス脱北者追放編(2)

《何故?在ラオス韓国大使館、脱北者9人をみすみす北朝鮮へ》

ラオス政府は5月27日、韓国に向かうため北朝鮮から中国を経てラオスにやって来た脱北者9人を中国に追放した。脱北者の内訳は15歳から23歳の男性7人と女性2人。北朝鮮を脱出してから中国で物乞いを続け、何とか生命をつなぎ止めてきたこの若い9人は、北朝鮮で「コッチェビ」と呼ばれる孤児たちだったという。その後の足取りについては、北朝鮮外交官の旅券を所持する人物に同行し、航空機でラオスを出国して中国の昆明空港に立ち寄ったところまでは確認できているが、そこからどこへ行ったのかは分からない。
ラオスはこれまで脱北者を発見すると、1週間から2週間ほど取り調べを行い、韓国行きを希望する場合は例外なく韓国に送っていた。
複数の脱北者支援団体によると、ラオス現地で脱北者の支援を行っていた韓国人夫婦はこの問題で

「韓国政府はただ待つように指示するだけで、何の対応も取ってくれない。ラオス駐在のアメリカ大使館の電話番号を教えてほしい」

と訴えていたという。
一方の韓国外交部(省に相当)は

ラオス現地にいる韓国の外交官とラオス政府の公安関係者は毎日接触し、9人を国外に追放せず韓国に送るよう要請していた」

と説明している。
しかし、この説明を額面通り受け取ることはできない。
まず、密入国者の立場にある脱北者をこれまで例外なく韓国に送っていたラオス政府が、なぜ9人を突然追放したのか納得がいかない。外交部の説明が正しければ、韓国の外交官はラオス政府当局と毎日のように接触していたにもかかわらず、9人はある日突然追放されたことになるわけだ。要するに外交官の対応がそれほど杜撰だったということなのだろうか。
過去にも東南アジア各国の大使館等に駆け込んだ脱北者は、韓国の外交官の誠意のない対応や無関心に強い不満を訴えるケースが何度もあった。
また、9人がもし北朝鮮に送り返されていれば、見せしめとして処刑される可能性も高いだろう。
北朝鮮金正恩キム・ジョンウン)第1書記が権力を継承した直後から「脱北の根を消し去るために銃声を鳴り響かせよ」等と指示を下し、脱北の阻止に全力を挙げてきた。その影響で、韓国にたどり着いた脱北者の数も2011年にはおよそ2,700人だったのが、2012年には1,500人ほど、また今年も3月までの時点でわずか320人と一気に減少した。
金正恩氏の登場以降、自由を求める脱北者たちはまさに命懸けで柵の上を歩くような危険な状況に追い込まれている。韓国政府は直ちに国際社会の世論を動かし、彼らの処刑阻止に最大限の外交努力を傾けねばならない。
韓国政府はラオス政府が突然態度を変えて脱北者を追放した理由や、韓国大使館がこの兆候を事前に察知できなかった理由、さらに9人が拘束されてからの韓国大使館の対応が適切だったか等、今回の問題における全てのプロセスを徹底して解明し、再発防止に取り組まねばならない。
幼い同胞が北朝鮮を脱出し、中国で物乞いをしながら生き延びてきたという事情を聞くだけでも悲しくなり、罪の意識を感じるものだが、業務上のミスや怠慢で彼らを死地に追いやったとすれば、その罪はどのようにしても償うことはできないはずだ。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)