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【みんな生きている】日比谷公会堂編(22)-1寺越昭二さん

寺越昭男(寺越昭二さんの長男)

みなさんこんにちは。長い間お疲れ様です。
昭和38年に父親が拉致され、来月12日でちょうど満50年になります。父親が突然いなくなって24年後に、突然北朝鮮から手紙が来て、「突然こちらで生活するようになった」という手紙でした。
それから北朝鮮という国は、恐い国で、どんな国かわからないのでしばらく様子を見ようということで、手紙のやり取りをしていましたが、北朝鮮にいる武志、私の従兄弟になりますが、武志のお母さんがあちこち飛び回って、外務省に行っても国交がない、警察に行ってもどうにもならない。
そういうことで2002年に小泉さんが訪朝して、金正日キム・ジョンイル)が拉致を認めて、私たちも家族会に参加させていただきました。
どうしてこれだけ時間がかかったのか?私はやっぱり、手紙が来た時に、強い日本であれば、拉致であれ、救助であれ、日本政府として正式に、親父たちを返せ、従兄弟を返せというのが本当だと思うんですね。強い日本でないばっかりに、そういうことができなかった。これがやはり一番の原因だと思います。
本当にこれから、何があっても強い日本になっていただくために、何をしなければならないかは、国民のみなさんが一番分かっていると思います。
今後とも宜しくお願いいたします。



【寺越事件とは】
昭和38年(1963)5月11日、石川県羽咋郡志賀町沖合にてメバル漁操業中だった寺越昭二さん(36歳)、寺越外雄さん(24歳)、寺越武志さん(13歳)が行方不明となり、死亡認定された後の昭和62年(1987)1月22日に北朝鮮にて生存を伝える手紙が親族のもとに届き判明した事件。現在は武志さんのみ北朝鮮で生存しています。
先日逝去された寺越文雄さん(神戸市東灘区在住)は外雄さんの兄、外雄さんが北朝鮮でもうけた家族への支援を続けていました。
文雄さんは、北朝鮮で一大事が発生したときに、このままでは救出すべき対象から、彼らが外れてしまうのではないかと心配して、

1.外雄の拉致認定
2.人身保護請求
3.家族の日本国籍の確認

を政府に求めて行動を開始していた矢先、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。
昭和62年、生存の知らせを受け、寺越家は関係各機関に救出の要請をしました。そして、当時社会党衆議院議員だった嶋崎 譲氏が北朝鮮当局との交渉を担当し、寺越事件は「海難事故」とされ、寺越家は分裂してゆくことになります。
政府は寺越家の3人を拉致認定しない理由として、寺越武志さんが一時帰国を果たした折、自ら「拉致ではない」と否定したことを第一の理由としていますが、事件が明らかになった時点で、政府が全面的にこれを引き受けて交渉していれば、今のような事にはなっていなかったはずです。
私たち救う会兵庫は、亡き寺越文雄さんの遺志を引き継ぎ、外雄さんの家族の救出へと繋がる国籍認定を引き続き、政府に求めてまいります。

救う会兵庫
代表 長瀬 猛