もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】救う会徳島編

北朝鮮による拉致被害者の支援団体「救う会徳島」が昨年来、積極的に記者発表を行うようになりました。
昨年12月に「特定失踪者問題調査会」の失踪者リストに入っている徳島県阿南市出身の賀上大助さん(拉致被害時23歳)の母・文代さん(61歳)が国の拉致問題対策本部警察庁を相手取り、捜査情報を公開しないのは「知る権利の侵害に当たる」として、情報公開を求めた人権侵犯被害申し立てを同会で支援した他、全国の都道府県警が捜査・調査している特定失踪者について開示するよう警察庁に情報公開請求。いずれも報道各社が報じ、注目を集めました。
人権侵犯申し立てでは、徳島地方法務局が拉致問題としては全国初となる申し立て受理と救済手続き(調査)の開始を決定。情報公開請求では、拉致の可能性が排除できない特定失踪者の都道府県別捜査・調査対象数について、特定失踪者問題調査会が把握する470人を大幅に上回る868人(昨年11月1日現在)という実態を掘り起こしました。警察庁が拉致の疑いで捜査している失踪者の総数を明らかにしたのは初めてのことです。
国会質問でも取り上げられ、警察庁が特定失踪者の再調査を強化するきっかけにもなりました。
今年に入って警察庁は特定失踪者本人や家族のDNA型鑑定の試料を積極的に採取するよう全国の都道府県警に指示、失踪者866人(昨年11月以降確認され2人減)の捜査や調査を強化するため、外事課に「特別指導班」を設置しました。
救う会徳島の陶久(すえひさ)敏郎会長は
拉致問題は政府の最重要課題の一つと歴代内閣は公言してきたが、果たして特定失踪者と親族の存在と人権は守られてきたか甚だ疑問に思う」
と強調。
身内の情報を待ち続けた親族の一日千秋の思いを推察すると、当然の指摘です。
人権侵犯申し立てをした賀上さんは、息子の大助さんが平成13年末に大阪の会社の社員寮を出たのを最後に行方不明となり、いまだに手掛かりのない状況に置かれています。
大阪、徳島両府県警の所轄署をたらい回しにされ、真摯に向き合ってもらうことはなかったといいます。

「日に日に年老いる自分がいつまで息子を待っていられるか不安でならない。本当のことを何も知らぬまま死ぬのは嫌だ」
(賀上文代さん)

拉致の可能性が排除できない866人の失踪者。
重い数字の裏側には親族たちの存在があります。

《賀上大助さんについて》
◆氏名:賀上 大助
(かがみだいすけ)
◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日
◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:169cm
◆体重:64kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)左目下に小さいほくろ
2)近眼
3)本来は左利きだが筆記と箸は右
4)虫垂炎の手術跡
5)音楽好きでピアノが弾ける
◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】
22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。午後9時に電子メールを出している。午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。夜出歩くタイプではない。眼鏡、携帯充電器が残されている。財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

徳島県の特定失踪者について》

(1)戸島 金芳さん
(としまかねよし)
◆失踪年月日:昭和31(1956)年1月14日
◆生年月日:昭和10(1935)年12月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆身長:172~173cm
◆当時の身分:農家手伝い。
農閑期には山口県に出稼ぎに行っていた。
◆失踪場所:徳島県貞光駅
【失踪状況】
「東京に住んでいた弟に会いに行く」と言って、暗くなって徳島県美馬町の自宅から出かけた。
母親が小遣いを持たせたが、翌日に家に全額送られてきた。
残された写真の裏には書き置きのようなものがあった。
失踪の何ヶ月か前から、夜中に部屋から朝鮮語のラジオの放送が聞こえていた。
悩んでいた様子があった。

(2)正木 冽子さん
(まさきれつこ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年9月24日
◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:157cm
◆当時の身分:看護師
◆特徴:丸ぽちゃ
◆失踪場所:徳島県徳島市眉山公園山頂
【失踪状況】
徳島市眉山公園山頂で行方不明。
前日9月23日、香川県大川郡引田町のバーで友人が目撃。

(3)山本 正樹さん
(やまもとまさき)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年7月11日
◆生年月日:昭和12(1942)年6月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:大阪府枚岡(現東大阪)市
【失踪状況】
同年3月自動車で軽い人身事故を起こした。
7月に家族が大阪の自宅アパートを訪ねたところ「数日友達の所へ行ってきます。誰が訪ねてきても行方不明と言ってくれ」というメモがあった。
隣室の人に聞くと「2日前にスーツケースを持って出て行くのを見た」と言っていた。
その後消息なし。
交通事故の裁判があったがそれにも出てこなかった。

(4)七條 一さん
(しちじょうはじめ)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日
◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆身長:165cm
◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生
◆特徴:
1)中肉中背
2)右利き
3)眼鏡着用
4)盲腸手術痕あり
◆靴のサイズ:24.5cm
◆失踪場所:石川県金沢市
【失踪状況】
北陸方面を旅行。
8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市ユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。
9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市ユースホステルに再度宿泊。
10日朝出発し、以後消息不明。「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。
2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。
事前に東京の下宿から西宮の母の実家に法要出席のための背広を送ってあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

(5)至極 透さん
(しごくとおる)
◆失踪年月日:昭和53(1978)年7月13日
◆生年月日:昭和23(1948)年7月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆身長:161.2cm
◆体重:63.5kg
◆当時の身分:会社員
◆特徴:
1)眼鏡なし
2)酒少々
3)タバコは吸わない
4)耳の後ろに中耳炎の手術痕あり
◆失踪場所:和歌山県和歌山市の自宅を出たところ
【失踪状況】
日記を記入した手帳のほか、船員手帳・年金手帳・健康保険証・定期積み立て預金通帳・印鑑・実印・アルバムなども部屋に残したまま失踪。

(6)秋田 美輪さん
(あきたみわ)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆身長:155cm
◆体重:43kg
◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2
◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)
【失踪状況】
大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。
夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。
翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。
当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。
バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。
発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。
地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。
竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。
平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。

(7)松岡 伸矢さん
(まつおかしんや
◆失踪年月日:平成元(1989)年3月7日
◆生年月日:昭和59(1984)4月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:4歳
◆特徴:
1)左利き
2)右眉上に米粒大のうすい傷跡
◆失踪場所:徳島県美馬郡貞光町の親戚宅前
【失踪状況】
前日3月6日、両親と共に徳島県小松島市で祖母の葬式に出席。その夜は親戚宅で就寝。
朝起きて8時15分頃、父・姉・弟・従姉妹と親戚宅前を数分散歩。玄関から入ってこなかったので、父は抱いていた弟を家の中の母に渡し、すぐに玄関先に出てみたが、そこにいたはずなのにいなくなっていた。
すぐに家族で手分けして探し、昼過ぎには警察に通報し、警察犬も出動。警察・消防・地元市民による大規模な山狩りもしたが消息不明。3月15日頃の夜、親戚宅にいる母親宛に徳島弁の女性から不審な電話があった。
13年間テレビ番組などを通じ探したが手がかりなし。
また、平成元年4月の終わりか5月の終わりに徳島県海部郡日和佐町の弁天浜の岸壁で「伸矢さんによく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃した」という情報がある。
日和佐は北朝鮮の船が来航する港の一つ。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。