もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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【みんな生きている】KYC編

《そのスパイ、通称を「KYC」》

「初めての顔だ。この女は誰なのか…」
写真を見た某国の治安関係者も、隠し撮りをした情報当局者も、分からなかった。写真を受け取った日本の警察当局もそうだった。
1983(昭和58)年夏、デンマークコペンハーゲンカストロップ空港。
搭乗待ちでベンチに座る女性は所在なげだ。
隣に座る男は、この地では“常連”の北朝鮮工作員、「KIM YUCHOL」(キム・ユーチョル)。各国の情報機関が「KYC」と呼ぶ男だった。
コペンハーゲンでのKYCの動きは盛んだった。

《1981年3月、北朝鮮外交旅券を使ったよど号乗っ取り犯・柴田泰弘元メンバー(故人)と、別の実行犯の妻(60歳)と一緒にベルリンに出国》
《1982年2月、よど号犯の元妻(57歳)とベルリン経由でモスクワに》
《1982年3月、よど号犯の妻(67歳)と別のメンバーの妻(56歳)と接触し、一緒にモスクワ経由で北朝鮮に向かった》

複数の国の情報機関が把握したKYCの行動のほんの一例だ。日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った元共産主義者同盟(共産同)赤軍派のメンバーや、後に合流したその妻たちとの接触が極端に目立った。そのため、KYCと接触した人物の特定は大概できた。
だが、1983年夏にカストロップ空港にいた女性は分からなかった。


■大使館員に偽装

1938年4月17日、平壌生まれ。
身長170cm、
痩せ形、
眼鏡使用…
KYCの「人定情報」だ。
関係者によれば、よど号犯メンバーが北朝鮮に渡って間もないころから、指導員を担当。1972年5月にメンバーたちが平壌で記者会見した際にも同席していた。
日本語が流暢で、1978年には別人名義で査証を申請し、日本にも入国していた。「カラオケは都はるみの『北の宿から』が上手だった」(関係者)という。
その後、欧州での工作活動を本格化させた。
日本の警察当局に寄せられたKYCの経歴は、1978年11月、在デンマーク北朝鮮大使館勤務。
1980年秋、在ユーゴスラビア(当時)北朝鮮大使館勤務。
1981年、ユーゴスラビア(同)・ザグレブ北朝鮮総領事館副領事…
少なくとも1984年5月まではザグレブ総領事館にいたという。
ただ、各国の情報機関はKYCが単なる大使館員ではなく、「部長級の工作員」とみていた。
警察関係者はこう話す。

「当時のザグレブコペンハーゲン、ウィーンとともに西欧への工作活動上、重要な拠点だった。情報収集要員として合法的に韓国に旅行するエージェント(協力者)を養成したり、接触する場所でもあった」


■拉致直前の写真

《途中で合流した有本恵子君供々、平壌市で暮らして居ります》
原文ママ)。

1988年9月に欧州で失踪した札幌市の石岡 亨さん(拉致被害時22歳)の実家にエアメールが届いて以降、謎は徐々に解けていった。
KYCとカストロップ空港にいた女性はイギリス留学中の1983年に姿を消した有本恵子さん(拉致被害時23歳)で、北朝鮮に拉致される直前の写真だった。
有本さんが北朝鮮女性名義の偽造旅券で出国していたことも発覚を遅らせた原因だった。
その後、有本さんをロンドンで獲得対象に定めたよど号犯の柴田元メンバーの元妻(57歳)が警察当局に、有本さんをコペンハーゲンまで誘い出し、KYCとよど号犯の魚本(旧姓・安部)公博容疑者(65歳)に引き渡したと話したことで、拉致事件の詳細が浮かび上がった。それぞれの足跡は交差していた。
北朝鮮に「獲得対象者」を入国させるにはアシストが必要になる。
よど号犯グループと指導員だったKYCの動きからは、北朝鮮当局がよど号犯グループの活動を容認し、コントロールしていた様子がうかがえる。それは、金正日キム・ジョンイル)総書記の意向なしには、成しえなかったはずだ。

よど号ルート拉致被害者について》
◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(拉致被害時23歳)
欧州にて失踪。
よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。