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【みんな生きている】朝鮮学校補助金編

北朝鮮による3度目の核実験の実施を受け、神奈川県の黒岩祐治知事は2月13日、県内にある朝鮮学校に交付していた補助金を打ち切ることを明らかにしました。
黒岩知事は会見で
「県民の理解が得られない」
等と述べ、県内にある5つの朝鮮学校に交付してきた県独自の補助金を、来年度当初予算案に計上しない方針を示しました。
予定していた補助金の額はおよそ6,300万円で、毎年交付され、学校の運営費や人件費に充てられていました。
黒岩知事は補助金の交付を再開する条件として
北朝鮮が国際社会に受け入れられる国になること」
を上げました。



※「朝鮮学校の教科書は一切秘密なんです。それを萩原 遼さんが何とか入手して日本語に翻訳した。そうしたら朝鮮学校の中で(萩原さんに教科書を渡した)犯人探しが始まった。教科書を知られちゃいけないなんて、こんなの学校じゃありません。秘密結社です」
(西岡 力・救う会会長)
※「朝鮮学校では朝鮮総連幹部や職員の子供が学費を免除されている。また、特待生制度があり、勉学はもちろん、スポーツや上(幹部)に忠実等の理由で無料で朝鮮大学校まで行ける」
(萩原 遼さん)

《神奈川県の特定失踪者について》
(1)東 修治さん
(あずましゅうじ)
◆失踪年月日:昭和62(1987)年10月
◆生年月日:昭和38(1963)年1月24日
◆性別:男
◆当時の年齢:24歳
◆身長:182cm
◆体重:75kg
◆当時の身分:会社員(病気で休業中)
◆特徴:
1)足のサイズ27.5cm
2)交通事故により、左手首からひじの間がくの字型に変形している
◆失踪場所:神奈川県横浜市のアパートから
【失踪状況】
昭和63年1月に不動産屋より家族に家賃滞納の連絡があり、家族がアパートを訪ねると突然出て行ったような状態だった。
お金、免許証はなく、車は置いたまま。免許証の切り替えはされていない。
昭和62年10月頃から胃病のため会社を休業中だった。
家族に送金を依頼する連絡があり送金している。
失踪後家族に無言電話があった。

(2)森 武史さん
(もりたけし)
◆失踪年月日:平成4(1992)年5月31日
◆生年月日:昭和40(1965)年11月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の身分:陸上自衛官(一等陸士・平成3年入隊)
◆失踪場所:神奈川県横浜市
【失踪状況】
ゴールデンウィーク中、横浜市戸塚区の実家に帰省し3日間滞在。
失踪当日の昼頃、弟と義母に「早めに隊に帰るから」「JR戸塚駅で待ち合わせしている…」などと言い残し実家を出た。変わった様子ではなかった。
その後、部隊から「戻っていない」との連絡が実家にあり、そのまま行方不明となった。

(3)笹垣 範男さん
(ささがきのりお)
◆失踪年月日:平成4(1992)年9月12日
◆生年月日:昭和49(1974)年3月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆身長:168cm
◆体重:58kg
◆当時の身分:予備校生(美大志望)
◆特徴:
1)剣道をしていた(2段)
2)利き腕側の胸が厚い
3)歯並びがよい
◆失踪場所:神奈川県三浦市
【失踪状況】
当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだ自宅にいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。
普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。
いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5~6時に帰宅するのが、10~10時半に帰宅する日もあった。
前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。
預金通帳は残っている。

(4)武内 卓さん
(たけうちたかし)
◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日
◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:38歳
◆当時の身分:警備員
◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園
【失踪状況】
平成7年9月にアメリカより帰国し、同12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。
翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。
14日の夜からは夜勤があった。
レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。
1月23日朝に勤務先から実家に電話があって失踪したことがわかった。
レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があり、ガソリンスタンドのレシートもあった。
14日朝8時、丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タンにしている。

(5)渋谷 浩邦さん
(しぶやひろくに)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆身長:168cm
◆当時の身分:県庁職員
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中
【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。
失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。

(6)寺島佐津子さん
(てらしまさつこ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年8月10日
◆生年月日:昭和35(1960)年7月26日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:銀行員
◆失踪場所:神奈川県横浜市戸塚区
【失踪状況】
失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。
翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

(7)田村 正伸さん
(たむらまさのぶ)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年5月
◆生年月日:昭和11(1936)年8月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:千葉県館山市
【失踪状況】
横浜市の会社に勤務していたが、千葉県館山市にある大手水産会社に転職するため、館山の親戚(叔父)の家に宿泊し、その会社の面接を受けに行った。その帰りに叔父の家に戻らず、消息不明に。
横浜市の下宿先から、身の回りのものは特になくなっていない。

(8)齋藤 正治さん
(さいとう しょうじ)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年10月1日
◆生年月日:昭和14(1939)年7月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆身長:170cm位
◆当時の身分:定時制高校の生徒
◆失踪場所:神奈川県逗子市
【失踪状況】
定時制高校に通いながら運輸省(現・国土交通省)のアルバイトのような仕事をしていた。
御両親が早く亡くなり、兄弟はそれぞれ住み込みで働いていた。
正治さんと良司さん(弟)は学年は1年違いだが、正治さんが高校に入ったのは1年遅れなので、その女性が高校では同級生だった。
話によれば「学校に来ない。下宿に行っても生活しているそのままの状態だった」とのこと。当時、良司さんも住み込みで自由に動けなかったので直ぐには下宿に行っていない。
後で警察には家出人届は出したが見つからなかった。
正治さんは中学校卒業後すぐ3年ほどパン屋に勤めていたが、退職後は母の妹の家(安浦町)に住所を移し、さらに転居していた。
転居先は住民票を辿ると逗子市で、住所は元横須賀海軍工廠の宿舎。
当時は朝鮮半島出身者が500世帯くらい住んでいたが、原因不明の火事(昭和36年頃)で焼失した。

(9)高松 康晴さん
(たかまつ やすはる)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年11月1日
◆生年月日:昭和16(1941)年3月23日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:165cm位
◆体重:50kg
◆当時の身分:会社員
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市材木座海岸
【失踪状況】
就職が決まり、東京の本社で辞令をもらって鎌倉の寮に入った。
その翌日の夕刻、他の同僚2人と材木座海岸の浜辺へ散歩に出て、3人で話をしているうち、高松さんひとり、そこを離れて行った。
その後、寮にも戻らず。
昭和36年12月『週刊読売』で、2週間前に失踪した他の男性とともに記事になっている。

(10)岩佐 寅雄さん
(いわさとらお)
◆失踪年月日:昭和36(1961)年12月20日
◆生年月日:大正15(1926)年12月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆身長:170cm
◆当時の身分:魚屋の店員(板前も出来た)
◆失踪場所:神奈川県鎌倉市の魚屋から
【失踪状況】
勤めていた店の人に黙っていなくなった。その後、横須賀のいとこが四方八方探し回ったが消息はつかめず。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。