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【みんな生きている】ラングーン事件犠牲者追悼碑建立編

ミャンマー政府、ラングーン事件犠牲者追悼碑建立を決断》

今年10月9日、北朝鮮によるラングーン事件が発生してからちょうど30年を迎える。ミャンマー最大の都市であるヤンゴンを訪問する韓国人は、今年からラングーン事件の現場を見渡しながら、犠牲者追悼碑の前で黙祷を捧げることが出来る。
韓国とミャンマーは昨年10月、アウンサン国立墓地周辺に追悼碑を建立することで合意したが、その具体的な場所も先日になって事実上確定した。


■追悼碑はアウンサン墓地内に

両国が追悼碑の場所として合意したのはアウンサン国立墓地の敷地内だ。
アウンサン国立墓地は、野党指導者アウン・サン・スー・チー氏の父で、ミャンマー独立の英雄でもあるアウンサン将軍とその仲間を追悼する赤色のアウンサン廟と、警察の警護棟からなる。ミャンマー政府は警護棟横の敷地を追悼碑の場所として提供することにした。
朝鮮日報』紙記者は昨年12月、正門前にある駐車場横の白い塀に囲まれたこの地を訪問したが、その時は雑草だらけだった。ミャンマー政府が提案した260平方メートル(約79坪)の敷地は台形で、敷地内に入ると木々の間からアウンサン廟が見えた。
現地の関係者の話によると、30年前にテロが起こったのは、アウンサン廟と韓国の犠牲者追悼碑建立予定地のちょうど真ん中あたりだという。このテロにより、当時全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に随行していた徐錫俊(ソ・ソクチュン)副首相やイ・ボムソク外相たち17人が死亡した。
ミャンマー政府は「追悼碑が建立されれば、木々を伐採して現場を見渡せることができるようにしたい」とすでに伝えてきているという。
上記の関係者は

ミャンマー政府が提示した260平方mの敷地は決して広いわけではないが、アウンサン墓地内にあるという点でその意味合いは大きい」

と述べた。
またすぐ横には駐車場もあるため、関連行事等を行う際には非常に便利だ。


ミャンマー政府の決断

アウンサン国立墓地はミャンマーの人たちにとって「聖地」とも言える場所だ。
今も一般の国民には開放されておらず、特別な行事がある場合に限り、制限的に訪問客を受け入れている。記者が現地を訪問した際も正門は固く閉ざされ、若い作業員が庭を手入れする様子が見られるだけだった。そのためミャンマー政府は韓国人犠牲者の追悼碑建立には理解を示しながらも、これをアウンサン国立墓地内とすることには一時難色を示していた。
また、今なおミャンマーと国交のある北朝鮮との関係悪化を心配する声もあったという。北朝鮮は今もラングーン事件を認めていない。
ヤンゴンに在住するある韓国人は

ミャンマー政府が国立墓地内の警察警護棟の敷地を提供することにしたのは、追悼碑を建立すれば、韓国とより近い関係を築くきっかけになると考えたからだ」

と語る。
今月末に江原道平昌で開催予定のスペシャルオリンピックス冬季世界大会への参加のため来韓するアウン・サン・スー・チー氏も、追悼碑の建立には前向きだという。


ヤンゴンの名所シュエダゴン・パゴダにも隣接

追悼碑建立予定地はシュエダゴン・パゴダからわずか100mと近いが、このことに大きな意味があるとする見方もある。
シュエダゴン・パゴダはミャンマーを代表する仏教施設で、毎年多くの観光客が訪れるアジア最大規模の仏教の聖地だ。昨年11月にアメリカの大統領として初めてミャンマーを訪問したオバマ大統領も、クリントン国務長官と共に靴を脱いでシュエダゴン・パゴダを回り、大きな話題になった。
韓国政府関係者は

ヤンゴンを初めて訪問する人は、誰もがシュエダゴン・パゴダに行く。韓国人観光客はシュエダゴン・パゴダを訪問する際、自然と追悼碑に足を運ぶだろう」

と述べた。
韓国政府の内外からは「追悼碑の建立を成功させるには、作業を急ぐ必要がある」との声も出ている。
ヤンゴンの消息筋は

ミャンマーは5月ごろから本格的な雨期に入るため、工事を順調に進めるには直ちに準備に取り掛からねばならない」

と指摘した。
韓国政府のある関係者は

「追悼碑の建立にはそれほど巨額を要するわけではないが、その象徴的な意味合いから“政府や遺族、あるいは関心のある国民全員が参加する方法で建立を進めるのが望ましい”との意見もある」

と述べた。

ラングーン事件
1983年10月9日、当時の全斗煥〈チョン・ドゥファン〉大統領がミャンマーのアウンサン廟〈びょう〉を訪問した際、これを狙って北朝鮮が起こした爆弾テロ。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)