もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】韓国政府高官編

《韓国政府高官が指摘する北朝鮮の軍事挑発の「動機」》

韓国政府高官は1月2日、記者団に対し、韓国政府が北朝鮮の経済支援要求を受け入れなかったため、それに抗議するために北朝鮮が天安爆沈事件と延坪島への砲撃という挑発行為に及んだと指摘した。李明博(イ・ミョンバク)政権が南北首脳会談の実現を目指したものの、北朝鮮が要求する「代価」を受け入れなかったことが一連の挑発の原因になったとの説明だ。政府高官が天安爆沈事件(2010年3月)以降、北朝鮮の意図について公に言及したのは初めてだ。
今回の発言のタイミングは、北朝鮮の権力者、金正恩キム・ジョンウン)第1書記が1日発表した新年の辞で、南北関係改善に意欲を示した翌日に当たり、北朝鮮に「融和のジェスチャーの真意は見通している」と警告を発したものと受け止められている。同時に近く北朝鮮と対することになる朴槿恵(パク・クンヘ)次期大統領とその参謀に送ったメッセージという性格も帯びている。


■首脳会談したければコメよこせ

北朝鮮は首脳会談実現の条件として、総額5億~6億ドルの現物支援を求めたとされる。
同高官は

李明博政権発足後、南北首脳会談を開くために何度か北朝鮮側と会って話し合ったが、北朝鮮が条件としてコメ数十万t、肥料数十万tを要求したため、韓国側は拒否した」

と語った。高官は北朝鮮が「裏金」として現金を要求したかどうかについては明かさなかった。
高官は

「南北関係で2010年3月の天安爆沈事件は最大の転換期だった。事件後も対話は行われたが、北朝鮮は真実を認めなかった」

と述べた。
南北首脳会談を巡る協議は2011年12月に金正日キム・ジョンイル)総書記が死去したことで中断した。
関係者は

「2011年12月に金正恩氏が権力を握って以降は首脳会談について話し合う状況ではなかった」

と述べた。


■経済支援得られず挑発

李明博大統領は2009年8月の光復節演説で「いつ、いかなるレベルであれ、南北間のあらゆる問題について対話と協力を開始する準備ができている」と宣言した。1週間後、金大中(キム・デジュン)元大統領の葬儀に参列するためソウルを訪れた北朝鮮の弔問団は、李明博大統領に「首脳会談は可能だ」との意思を伝えた。
そうしたムードの中で、同年10月には労働部(省に相当)の任太熙(イム・テヒ)長官(当時)と北朝鮮の金養健(キム・ヤンゴン)統一戦線部長がシンガポールで秘密接触した。北朝鮮はその際にも食糧・肥料支援を当然のように要求。支援を行うには5億ドル(約440億円)の資金が必要だった。
同年11月7日と14日に北朝鮮南部・開城の宿泊施設で行われた南北間の秘密会談は最終的に決裂した。
消息筋は

「当時北朝鮮の元東淵(ウォン・ドンヨン)統一戦線部副部長(次官級)は首脳会談の合意文案まで示した。首脳会談の見返りとして数十万tのコメと肥料をよこせという内容だったため到底受け入れることはできなかった」

と述べた。
別の消息筋は

「仮に北朝鮮の食糧・肥料支援要求を受け入れたとしたら、首脳会談に至る段階ごとに裏金を要求されたはずだ」

と指摘した。
北朝鮮は南北首脳会談をめぐる秘密会談が決裂し、韓国側からの経済支援を受けられなくなった直後の2010年1月に「報復聖戦」に言及。西海(黄海)の北方限界線(NLL)に海岸砲を大量に撃ち込んだ。2ヶ月後の3月26日には韓国軍の哨戒艦「天安」を爆沈し、11月には延坪島の民間人居住地域にも砲撃を加えた。
韓国政府高官は

「政府は天安爆沈事件や延坪島砲撃に対する免罪符を与えて南北関係の打開することはできない」

と述べた。南北関係が破綻した原因は北朝鮮側にあると主張した格好だ。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)