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【みんな生きている】金正恩編

金正恩体制、もうすぐ1年》

北朝鮮金正日キム・ジョンイル)総書記が死去して、12月17日で丸1年となる。2009年1月に後継者に内定した金正恩キム・ジョンウン)氏は着々と権力基盤を固め、新体制の求心力を高めている。
正恩氏は昨年12月30日に人民軍最高司令官に推挙され、北朝鮮の最高指導者に就いた。最高司令官となり、軍権を掌握した正恩氏は今年4月11日に開かれた朝鮮労働党代表者会議で第1書記となり、2日後の最高人民会議では国防委員会の第1委員長に推挙された。
金総書記は「永遠の党総書記」「永遠の国防委員長」とされ、正恩氏が事実上、北朝鮮の党・政・軍の最高指導者となった。
金総書記と比べれば、正恩氏の権力承継は非常に早かったと言える。金総書記は1994年7月に金日成(キム・イルソン)主席が死去してから3年後の1997年に総書記に就いた。
ソウル大学統一平和研究院のチャン・ヨンソク上級研究員は、

「金総書記は1970年代初めに後継者に内定し帝王学を学んできたため、金主席死去後も権力基盤が強固だった。しかし、正恩氏は後継期間が短く、権力安定を急ぐ必要があったはず。早く権力を継承し、北朝鮮体制を掌握する必要を感じただろう」

と分析した。
正恩氏は今年元日に「近衛ソウル柳京洙第105タンク(戦車)師団」を皮切りに公式活動をスタートし、平壌民俗公園などの経済施設を視察する等、指導者としての活動を積極的に行なった。視察現場では軍人、子どもや住民たちと腕を組む等“スキンシップ”を行い、「親人民的な指導者」をアピールした。
特に、金主席を真似た髪形と服装で「金(日成)正恩スタイル」を演出し、金主席の生誕100周年の軍パレードや少年団大会では肉声演説を行い、父親の金総書記との差別化を図った。
異例のファーストレディー公開を実施したことも差別化の一環と見られる。北朝鮮メディアは7月、平壌・綾羅人民遊園地の完工式に出席した正恩氏の活動を伝える際に、夫人の李雪主(リ・ソルジュ)氏を初めて公開した。李氏はその後も現地視察や軍部隊視察にも同行している。
北朝鮮の元高官だった北朝鮮脱出住民(脱北者)は

「後継者期間が短かった正恩氏としては父親との差別化を図り、住民の支持を得る必要があったはず。肉声演説や夫人公開などもこうした意図が含まれている」

と分析した。
今年1年間、急速に展開された正恩氏の権力継承作業は新指導部の意図によるものだとする観測もある。
北朝鮮政権は正恩氏を首領に立てて唯一支配体制を維持しているが、実際には叔母の金敬姫キム・ギョンヒ)党書記と、叔父の張成沢チャン・ソンテク)国防委副委員長、崔竜海(チェ・リョンヘ)軍総政治局長たちが北朝鮮体制を率いているとの見方だ。
張副委員長は8月に中国を単独で訪問し、11月には新しく発足した国家体育指導委員会の委員長に就任。最近では公式行事の出席者リストで、崔総政治局長に次ぐ2番目に呼ばれ、公式序列も急上昇した。
張副委員長の最側近とされる崔総政治局長は民間人出身であるにもかかわらず、軍を総括し、軍部高官の粛清作業を進め、いわゆる「金正恩の軍隊」をつくる役割を担っている。
チャン上級研究員は

「権力の空白が生まれる中、張副委員長と崔総政治局長が正恩氏を立て『金正恩体制』の構築を急いでいる様相。当分の間はこうした体制維持が続く」

と予想した。
現在の金正恩体制は比較的安定していると専門家たちは評価する。
正恩氏を中心とする新体制の指導部が人事を通じ、比較的早く軍部を掌握して労働党会議を復活させ、過去の政治システムを復元するのもこうした評価を裏付けている。また、協同農場と企業に自律性などを認める「6・28方針」を通じ、経済的変化を図りながら中国との経済協力を拡大している他、事実上の長距離ミサイル発射予告等を通じ、国際社会と駆け引きを続けることも金正恩体制が安定的に政策を決定していることを示していると言える。
北韓大学院大学の梁茂進(ヤン・ムジン)教授は

「正恩氏が党代表者会、最高人民会議等の正式手続きを経て権力を継承し、指導者の役割を果たしている。ここ1年間、外形的には非常に安定している」

と評価した。
ただ、一部では長期的には不安定さを抱えているとの観測もある。
ある脱北者

北朝鮮の既得権勢力は金正恩体制の安定が自分たちにも利益になると同意しているが、時間が経つにつれ、軍部等を中心に亀裂が生じることも考えられる。むしろ、北朝鮮の不安定は金正恩体制が安定してから訪れる可能性がある」

と指摘した。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)