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【みんな生きている】松木 薫さん

■11月8日、ジュネーブでの政府主催拉致問題シンポジウムにおける松木信宏さんのスピーチです。


私は1980年スペイン国マドリードにおいて消息を絶ち、2002年日本国内閣総理大臣北朝鮮訪問の結果、北朝鮮による拉致被害者と認定されました松木 薫の弟、松木信宏と申します。
本日は日本国の重大な主権侵害である北朝鮮による拉致、北朝鮮による重大な人権侵害である北朝鮮による拉致について関心を持っていただき、この場に集い、ともに考えることが出来ることを大変有り難く思います。
大きな話しは日本政府関係者、シンポジウムにご参加の日本国を代表する拉致問題の専門家のお二人が既にお話になりました。
私は日本国の一国民であり、学識等有しません。
ただ言えますのは、不本意な境遇に置かれ、数十年も異国の地に留め置かれ、自分の意見も述べることすらままならない兄達被害者の僅かばかりの手がかりを思い忖度しつつ、自我を抑え、常に北朝鮮にいる被害者のことを考えつつ、日本国政府に救出を求めていくことが、最愛の家族の帰りを待つものの最低限の務めではないのだろうかと思い、今日まで過ごしてきました。
私の兄は、1988年8月ポーランドより投函された一通のAir Mailにおいて北朝鮮において生存していることがもたらされました。
その手紙の中には、兄と同時期に消息を絶った手紙の筆者である石岡 亨さん、1983年に同じく欧州から足取りが途絶えた有本恵子さんとともに北朝鮮平壌において暮らしている旨が書かれていました。
その手紙は細長い便箋風の紙で手のひらに隠れるくらいに細かく折りたたまれた跡がありました。私は実物を見ていますが、決死の思いで書かれたものであることが容易に感じられるものでした。また非正規なものであることも分かりました。なぜなら、手紙を投函してくれた方に我々の方からもお礼してくださいと書かれていたからです。
その命がけだったであろう、手紙を書かれた石岡 亨さんの勇気に私は感謝しています。
最後に、その石岡さんの兄である石岡 章さんのメッセージを代読させて頂き私のスピーチを終わらせていただきたいと思います。メッセージに全てが書かれている訳ではありませんが、ほんの僅かでも思いが共有できればこれ以上の幸せはありません。
では読ませて頂きます。


◆石岡章さんメッセージ

私の弟、石岡 亨は30年以上もの昔、世界を見てこようとヨーロッパに出かけました。大きな期待に胸を膨らませていたこの旅先で、彼は日本赤軍よど号メンバーの手で拉致され、北朝鮮に拘束されることになりました。
連絡が途絶えて以来、こうした事情が分からず、弟は事故か何らかの犯罪に巻き込まれたものとして長い間家族は悩み心配し続けてきました。この間に父は病で亡くなり、母も重い病にかかってしまいました。
ピョンヤンで生きている、との手紙が届いたのは行方不明から8年も経ってのことです。手紙の様子から、母と私達兄姉は彼が恐ろしい境遇におり、命がけで連絡してきたのであろうと判断しました。
加えてこの手紙には彼同様にヨーロッパで行方不明になっていた有本恵子さん、松木 薫さんらと共に暮らしていることが書いてあり、彼らも拉致されていたことが明らかとなりました。
北朝鮮に拉致された弟はどの様な経験を強いられ、どれほど過酷な人生を歩んできたことでしょうか。怒り、屈辱、絶望に囚われながら、望郷の念を押さえつけて日々を乗り越えてきたものと思われます。
一部拉致被害者の帰国しか得られなかった不完全な日朝交渉から10年が経ちました。金正日氏は拉致を国家による工作と認めながら、この問題を未解決のまま世を去りました。
さて、後継の若い指導者は基盤固めに苦労しているようですが、拉致問題を主題とする交渉が果たして実現できるかどうか分かりません。
さて、私の弟と有本さんおよび松木さんの3人は北朝鮮に亡命したよど号メンバーが命令を受けて作戦行動したことによる拉致被害者です。よど号メンバーは北朝鮮において英雄として迎えられ特権待遇を享受しております。不思議なことに自分達の理想とする北朝鮮に暮らしながら、彼らは自分達の子供を日本に送り、自由な暮らしをさせております。拉致被害者を生み出した犯罪者が、より自由な暮らしをさせようと、自分の子供達だけを戻す非人間的な身勝手を私達は理解出来ません。
いまや国際指名手配犯となった彼らメンバーを帰国させれば、少なくとも彼らが直接関与した拉致問題に関する状況が明らかになります。北朝鮮よど号メンバーと彼らによる被害者を日本に返すことで国際的な信頼回復を得るチャンスを真剣に考えるべきです。
私達はひたすら弟の帰国を待っております。彼が死亡しているのではないか、生きていても病気になっているのではないかと心配し続けています。
皆さまのご家族が被害者であったらどう思われますか。
世界がこの問題に関心を持って、協力を寄せてくださるように心から願っております。

石岡 章

石岡さんの手紙にもありますが、私の父も兄の手掛りを探し歩き心配しつつポーランドからの手紙をみることなく亡くなりました。
母は寝たきりになりながらも90歳を超えた現在も故郷で兄の帰りを待ち続けています。

以上

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(拉致被害時22歳)
被害者:松木 薫さん(拉致被害時26歳)
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。