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【みんな生きている】北朝鮮文学編

北朝鮮文学の未来》

1999年に北朝鮮を脱出した詩人のチェ・ジニ氏の証言によると、北朝鮮の朝鮮作家同盟の文人たちは自分たちだけで集まって不満を漏らしたりしていたという。
そのような席で、故・金日成(キム・イルソン)父子を賛美する多数の詩を書いていたある作家が、仲間の文人たちに非難されたことがある。「お前は暇さえあれば金日成父子の悪口を言っているくせに、なぜ賛美する詩をそんなにたくさん書いているのか」と言われたのだ。
その作家は「私は金日成父子ではなく、神様のことを思いながら詩を書いた」と言って笑わせたという。故・金正日キム・ジョンイル)総書記も作家同盟の賛美詩を見ては「鳥肌が立つ」と突き返したことがあった。
金日成偶像化文学の始祖といわれるのは、咸興出身の小説家・韓雪野(ハン・ソルヤ)だ。韓雪野は1946年、北朝鮮で短編小説『血路』を発表した。「金日成将軍」が魚釣りで体得した遊撃戦術で、小部隊を率いて朝鮮の地に光明を照らすという内容だ。
その頃、林和(イム・ファ)をはじめとする他の北朝鮮文人たちは金日成偶像化のようなことなど考えてもいなかった。林和は1953年、アメリカのスパイとして粛清された。
韓雪野はその後、金日成偶像化小説を書き続けて教育文化相にまで上り詰めたが、韓雪野も1962年に粛清された。「自分自身の文学を書く時期が来たようだ」と仲間に書いた手紙が告発されたためだ。
金日成偶像化文学は、1960年代後半に本格化した。当時、朝鮮労働党の中央委員を務めて4年目だった故・金正日総書記が「主体(チュチェ)文学論」を打ち立て、金日成主席の偶像化を指導し始めた。
1967年に粛清された咸興道甲山郡出身の権力層「甲山派」はチョン・ヤギョンの『牧民心書』を党幹部に読ませ、封建儒教思想を広めたという理由で追いやられた。朝鮮労働党は「金日成主席の革命思想だけが確固不動の信念」だと宣言した。
1994年、金日成主席が死去した後、金正日総書記が「首領永生文学」に取り組むよう指示し、金日成主席に対する追悼詩が多数書かれた。
金正日総書記の先軍政治を賛美する「先軍革命文学」も登場した。2004年に北朝鮮最高の詩人、呉映在(オ・ヨンジェ)は、『先軍の銃声』という詩を発表した。機関短銃を撃つ金正日総書記を歌い、「ただ銃床のみが民族を救うことができるということを/世界中に宣言される/鉄の決心の爆発だった」と詠み上げた。
9月14日、韓国・慶州で開催された国際ペン大会総会で、「亡命北朝鮮作家ペンセンター」の加盟が参加国86ヶ国の満場一致で可決された。北朝鮮国際ペンクラブの加盟国ではなかったが、脱北した約20人の作家が亡命北朝鮮作家ペンセンターに加入していた。脱北した作家たちは「書きたい文学を書けない北朝鮮文人たちが我々をどれほどうらやましがっているだろうか」と話した。今後、脱北した作家たちは国際ペンクラブ本部に北朝鮮の文学と人権の実態を正式に報告することになる。
脱北した作家たちが経験した「主体文学」に関する報告書も出してほしいと思う。世界の文学史で最もドラマチックかつ最も悲劇的な大河小説1セット分には十分な量だろう。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)