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【みんな生きている】亡命北朝鮮作家ペンセンター編

《亡命北朝鮮作家ペンセンター、韓国の文学を豊かに出来るか?》

ドイツの劇作家、ベルトルト・ブレヒトは1933年、ナチスが自分を政治犯として逮捕しようとしていることを知り、家族を連れて亡命することを決意した。
ブレヒトナチスの追跡から逃れるため、15年にわたりチェコオーストリア、スイス、デンマークフィンランド、フランス、ソ連アメリカ等を渡り歩いたが、その間も作家としての活動を続けていた。
ブレヒトは「靴よりも滞在国を変えることの方が多いくらい、いつも逃げ続けていた」と語っている。また亡命生活を続ける間に『肝っ玉おっ母とその子どもたち』等の代表作を幾つも完成させた。
また、ヒトラーがかつて作家志望だったことを皮肉りながら「塗り師のヒトラーはドイツ全体を間違って塗り、汚くしてしまった」という趣旨の詩も残している。
1960年代から1970年代、亡命作家といえば主に南米やソ連出身者が多かった。
チリの詩人ネルダとコロンビアの小説家マルケスは、欧州亡命中に書いた作品でノーベル賞を受賞した。
ソ連の作家ソルジェニーツィンは1970年にノーベル賞を受賞し、その4年後には強制収容所を告発した『収容所群島』を発表して追放されたが、ソ連崩壊後の1994年になって出身地のロシアに戻った。
中国の高行健天安門事件の際にフランスに亡命し、2000年にノーベル文学賞を受賞した。
114ヶ国に143のセンターを持つ国際ペンクラブには、中国、キューバベトナム、イラン、チベット等の亡命作家が立ち上げたペンセンターも加盟している。
慶州で開幕した第78回国際ペン大会は9月14日の総会で亡命北朝鮮ペンセンターの加盟を採決にかける。朝鮮中央テレビ放送作家だったチャン・ヘソン氏をはじめ、脱北した作家20人以上が今年初めに北朝鮮ペンセンターを立ち上げ、国際ペンクラブに加盟申請書を提出したからだ。
亡命北朝鮮ペンセンターの理事長はチャン・ヘソン氏、事務局長はチャン・ジンソン氏だ。
チャン・ジンソン氏は北朝鮮の惨状を告発した詩集『わたしの娘を100ウォンで売ります』で話題となった詩人だ。チャン氏は平壌市内の市場で、ある女性が娘を軍人に100ウォン(当時20円)で売るのを目撃した。

「娘を売って手にした100ウォン/小麦のパンを買って慌てて娘に駆け寄り/別れる娘の口に入れ/許して!と叫んだあの女性」。

今年6月にロンドンで詩の祭典・ポエトリー・パルナソス(The Poetry Parnassus)が開催された際、チャン・ジンソン氏は北朝鮮代表として招待され、北朝鮮の人権問題の実態を告発する詩を朗読した。
脱北した作家たちは「南北の文学と文体はあまりにも懸け離れているため、南(韓国)の基準に合わせた作品を書くのは大変だ」と語る。
脱北者の作品は北朝鮮の実態を告発する手記が多いため、韓国に簡単に定着出来ないのは事実だ。しかし、彼らが韓国社会に定着する過程を描いた作品も近く登場するだろう。
韓国社会を亡命者の観点から見詰めることも必要だ。亡命北朝鮮ペンセンターを基盤に「脱北者文学」が韓国の文学をさらに豊かにする新たな流れとなることを期待したい。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)