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【みんな生きている】申淑子さん

《申淑子さん送還対策委員会発足》

北朝鮮に抑留されている「統営の娘」こと申淑子(シン・スクチャ)さんと2人の娘の送還推進を目的とした「統営の娘送還対策委員会」が7月20日に発足した。対策委は20日午後、ソウル市内のプレスセンターで記者会見を行い、対策委に参加した各界の人物のリストを発表したあと、「統営の娘」に関する聴聞会や文化祭の開催等今後の活動計画を明らかにした。
対策委の常任代表に就任した申さんの夫、呉吉男(オ・ギルナム)博士は

「自分の家族を救いたいというこの運動を、人間の命を助ける運動として、そして北朝鮮の人権を改善する運動として韓国国民が受け入れ、積極的に声援を送った。韓国国民の関心に感謝する」

と語った。
この他、「美しい財団」の朴相曽(パク・サンジュン)理事長、「北朝鮮民主化フォーラム」の李東馥(イ・ドンボク)常任代表、「北朝鮮民主化ネットワーク」の韓基弘(ハン・ギホン)代表、「北朝鮮民主化委員会」のホン・スンギョン委員長、韓国人拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表たち16人が対策委の共同代表に就任した。
対策委は近いうちに国連本部(アメリカ・ニューヨーク)の北朝鮮代表部前で申さん母子の拘束に抗議するデモを行い、アメリ連邦議会の議員たちと会談し、協力を求める計画だという。また、ドイツ外務省などと接触し、ドイツでの呉博士と2人の娘(圭媛〈ギュウォン〉さん、恵媛〈へウォン〉さん)の再会も推進することとした。
今年5月29日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)傘下の「恣意的拘禁に関する作業部会(WGAD)」は

「1987年から続く申淑子・呉恵媛・呉圭媛各氏の拘束は恣意的(強制的)で、現在も恣意的」

と判定した。ドイツで暮らしていた申さんは1985年、作曲家の尹伊桑(ユン・イサン)氏たちから北朝鮮行きを勧められた呉さんと共に北朝鮮に渡った。
申さんは1986年に夫の呉さんが1人で北朝鮮を脱出したあと、2人の娘と共に咸鏡南道の15号管理所(耀徳〈ヨドク〉収容所)に収容された。
申さんは1991年に尹伊桑氏を通じ肉声が録音されたテープを夫に送ったのを最後に、消息が途絶えた。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)