もずの独り言・はてなスポーツ+物置

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】田口八重子さん[首相面会]/TSS

イメージ 1

-その命、見捨てますか?-
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!首相、拉致被害者家族と面会 「拉致提起」を報告》

安倍晋三首相は3月6日午後、北朝鮮による拉致被害者の家族たちと面会し、米・朝首脳会談での拉致問題のやり取りについて説明しました。
安倍首相は、

トランプ大統領からは、金正恩キム・ジョンウン)委員長に対しまして、この拉致問題を提起していただき、私の考えを伝えていただいたということでございます」

と述べました。
拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表(田口八重子さんの兄)は、

「自らが北朝鮮当局ときちっと向き合っていくという覚悟をお聞きしまして、わたしたちは、非常にそれにまさに期待している」

と話しました。
安倍首相は、先の米・朝首脳会談で、ドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領が金正恩委員長に対し、1対1の会談と夕食会の2度にわたり、拉致問題を取り上げ、自身の考えを伝えたと説明し、今後、金正恩委員長と直接向き合う考えを重ねて示しました。
飯塚代表は、

北朝鮮の態度が硬化していない状況が伺われるので期待している」

と述べ、安倍首相に対し、引き続き解決に向け努力するよう求めました。

田口八重子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html
田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
拉致問題を考える国民のつどいin広島(1)
https://www.youtube.com/watch?v=4vMSqq3uZLs&list
拉致問題を考える国民のつどいin広島(2)
https://www.youtube.com/watch?v=4vMSqq3uZLs
拉致問題を考える国民のつどいin広島(3)
https://www.youtube.com/watch?v=xLrpuJO8Py0
拉致問題を考える国民のつどいin広島(4)
https://www.youtube.com/watch?v=hEzbmCW42Ow
拉致問題を考える国民のつどいin広島(5)
https://www.youtube.com/watch?v=b4F3tOPMgDg
拉致問題を考える国民のつどいin広島(6)
https://www.youtube.com/watch?v=qzfJwVE1L2E
拉致問題を考える国民のつどいin広島(7)
https://www.youtube.com/watch?v=GIIZOiZ09kM
拉致問題を考える国民のつどいin広島(8)
https://www.youtube.com/watch?v=jMWjHaVS_OM
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/
北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/
■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo
■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■ベナTVHP
http://www.benamu.org
■ベナTVブログ
http://blog.naver.com/benamu1004
■ベナTVFacebook
http://www.facebook.com/bnatv1004
北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be
脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM
■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8
■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."

《特定失踪者・佐々木 薫さんについて》
◆氏名:佐々木 薫
ささきかおる
Kaoru Sasaki)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月12日
◆生年月日:昭和25(1950)年10月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆当時の身分:調理師
◆身長:167cmくらい
◆特徴:
1)中肉
2)喫煙する
3)歌が好きで、美和健治という芸名を名乗っていたこともあった
◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】
当時、広島市在住。
1972(昭和42)年11月11日、祭りで広島の実家に帰省。
翌12日、広島市に帰る。
広島市に帰った2~3日後、知人女性に「急に京都に行かなければならなくなった」と電話をかける。
また何日後かに知人女性に「京都から帰れなくなった」と電話を掛けた後、所在不明となる。
1~2ヵ月後、知人女性から実家に女性から「薫さんから『京都から戻れんようになった』と連絡がありましたが広島(三和町)に帰りましたか?」と実家に電話があった。
1984(昭和59)年、女性から実家に「薫さんは居られますか?」との電話がある。
1991(平成3)年正月、差出人が薫さんになっている年賀状が兵庫県相生市在住の叔父宅に届くが、年賀状は印刷されたもので、記載されていた愛媛県今治市の住所(消印も今治市)は実在の住所だが別人が住んでいた。
京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
愛媛県警HP
http://www.police.pref.ehime.jp/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による佐々木 薫さん失踪事件の解説】
◆年賀状は拉致実行犯の偽装
「遺留品」という言い方が適当かどうか分かりませんが、失踪後親戚に佐々木 薫さんの名前で届いた年賀状で、差し出し人は薫さんなのですが、薫という字が間違っており筆跡も本人のものではありません。住所もそこに住んでいるのは別人でした。誰かが何かの目的で送ったとしか考えられません。
拉致であれば攪乱を狙ったものと思われます。少なくとも本人の意図と異なる第三者の意志が加わったことは間違いありません。他にも同様のケースは多数あり、あらためてこれらのパターンについても見直しが必要だと思います。

《特定失踪者・古川 龍さんについて》
◆氏名:古川 龍
(ふるかわりょう)
(Ryou Furukawa)
◆失踪年月日:昭和62年(1987)3月以降
◆生年月日:昭和39年(1964)11月4日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:イギリスのデヴォン(Devon)州エクセター(Exeter)市
◆日本国内の住所:京都府京都市
◆当時の身分:留学生
◆身長:167cmくらい
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:エクセター市ないしスペイン

【失踪状況】
大学(英文科)在学時に英語の勉強をするため私費でイギリス・エクセター市に滞在中、スペインに向かった後、行方不明となった。
エクセター市の滞在先だった部屋には荷物が置かれたままだった。
古川 龍さんの失踪について、現時点で北朝鮮との直接の結びつきは見つかっていないが、政府認定拉致被害者有本恵子さんの拉致はイギリスを、松木 薫さんと石岡 亨さんの拉致はスペインを舞台に行われていることもあり、公開をきっかけに新たな情報が出てくることを期待している。
広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/
京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・和田吉正さんについて》
◆氏名:和田 吉正
(わだよしまさ)
(Yoshimasa Wada)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年4月14日
◆生年月日:昭和27(1952)年11月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:広島県府中市
◆当時の身分:無職
◆直近の職業:失踪直前まで広島県府中市のスーパーに勤務
◆身長:168cm
◆体重:55kg~58kgくらい
◆血液型:O型
◆特徴:
1)人さし指を事故で1cm弱切断。ただし爪が少々残っている
2)趣味はヘラブナ釣り
3)たばこ、ビールはたしなむ程度
4)高校時代柔道初段
5)髪の毛が少々癖毛
6)つま先を前にこする様に歩く癖がある
◆失踪場所:東京都新宿区

【失踪状況】
勤務先のスーパーで人間関係がうまくいかず退職しようかと悩んでいるとき交通事故を起こし、軽い怪我で3日入院。
退院したが精神的に行き詰まり昭和54年3月に退職。
4月12日免許証、時計など家に置いたまま広島県の実家を出る。
母親が午後3時頃に家を出るときは家にいたが、帰ってくると姿が見えなかった。
現金15,000円がなくなっていた。
家族がメモ帳を頼りに電話したところ、同日東京都新宿区四谷1丁目の知人宅に上京し1泊して翌早朝荷物を置いたまま出て行き帰って来ていないとの返事だった。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・花田昭博さんについて》
◆氏名:花田 昭博
(はなだあきひろ)
(Akihiro Hanada)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年9月24日
◆生年月日:昭和41(1966)年4月5日
◆性別:男性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:広島県大竹市
◆当時の身分:高校3年生
◆身長:169cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)左眉毛上に米粒大のほくろ
3)一重瞼
◆失踪場所:当時居住していた自宅から

【失踪状況】
失踪当日自宅テーブルの上に「釣りに行きます」との書置きを残し、朝5時~6時頃家を出たまま行方不明となる。
本人は留守にするときには必ず書き置きをしていた。
当日は学校は休みだった。
1週間後、自宅から33km離れた山口県大島大橋山口県柳井市と大島郡周防大島町間の大畠瀬戸に架かる橋)の中央近く車道部分に本人の自転車と釣り竿が放置されていた。
釣りが趣味だったが、通常はほとんど1人で出かけており、たまに2歳年上の友人と行ったこともあった。通常行く先は自転車で行ける範囲の大竹海岸だった。
本人が小学生のとき、お父さんとお父さんの知人、その子供たちで大島大橋を渡って島内に入り釣りをしたことが何度かあるが1人で大島まで釣りに行ったことはなかった。
自宅には小遣い7,000円~8,000円が残されていた。
間違い電話の可能性はあるが失踪後何度か無言電話はあった。
山口県警HP
http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

《特定失踪者・田辺真理子さんについて》
◆氏名:田辺 真理子
(たなべまりこ)
(Mariko Tanabe)
◆失踪年月日:平成8(1996)年9月27日
◆生年月日:昭和43(1968)年11月14日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆当時の住所:広島県広島市中区
◆当時の身分:販売員(ブティック)
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆特徴:
1)髪は染めていないが少し赤茶けている
2)コンタクトレンズ使用
◆失踪場所:広島県広島市中区

【失踪状況】
平成8年9月27日午後8時頃、勤務先のブティック閉店後、同僚に売り上げ等のメールを発信し帰宅したものと思われるが、翌日から出勤しないまま行方不明となる。
勤務先のあった広島市中区本通りから自宅までの間の道でいなくなったと思われる。
田辺さんが1人で店にいることが月の半分くらいあり、失踪当日も1人だった。
両親が毎朝モーニングコールをしていたが、28日はいくらしても出なかった。
両親が広島に行き部屋を見たが、帰った様子がない。
現金50万円が置いてあった。

《特定失踪者・酒井勇夫さんについて》
◆氏名:酒井 勇夫
(さかいいさお)
Isao Sakai)
◆失踪年月日:平成11(1999)年12月23日
◆生年月日:昭和45(1970)年5月5日
◆性別:男
◆当時の年齢:29歳
◆当時の住所:千葉県鴨川市成川
◆当時の身分:会社員(食品関係機械製造業)
◆身長:170cm
◆体重:90kg
◆血液型:B型
◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】
平成11年12月18日より同僚2名と広島市の食品会社に出張(牛乳製造ラインの移設作業)。
本人が責任者で作業を行う。
20日に主たる工事が終了したので同僚2名は帰京、以後1名で22日まで微調整作業のため勤務。
23日午前4時46分ホテルをチェックアウトしたが食品会社には出社せず。
同日12時35分にホテルより北東方向17km先の広島県安芸高田市のATMコーナーで1万円、5万円の2回に分けて本人名義の口座から現金が引き出されている(本人かどうかは確認できず)。
以後消息なし。
なお、早朝のチェックアウトはそれまでも同じ(工場ラインの稼働にあわせるため)。
千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
広島県警HP
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/
救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・藤倉紀代さんについて》
◆氏名:藤倉 紀代
(ふじくらきよ)
(Kiyo Fujikura)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月29日
◆性別:女性
◆当時の年齢:12歳
◆当時の住所:広島県広島市
◆当時の身分:中学校入学直前
◆身長:150cm
◆体重:38kg
◆特徴:
1)痩せ形で面長
2)色黒
3)髪の毛を腰まで伸ばしていた
4)内向的な性格
◆失踪時の服装:フード付の紺色スモッグに白色セーター
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
仕事に出る母親を姉弟で玄関で送り出した。
母親が深夜2時ごろに帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食を摂って食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
同夜は雨だったが、傘は置いてあった。
所持金は小遣い程度で、自分たちだけで遠出したことはなかった。
紀代さんは失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・藤倉靖浩さんについて》
◆氏名:藤倉 靖浩
(ふじくらやすひろ)
(Yasuhiro Fujikura)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日
◆生年月日:昭和44(1969)年3月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:11歳
◆当時の住所:広島県広島市
◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)
◆身長:140cm
◆体重:30kg
◆特徴:
1)中肉で丸顔
2)色黒
3)坊主頭
◆失踪時の服装:プロ野球の阪急の帽子をかぶり紺色ビニールのヤッケに同色のジーパン、白ズック姿
◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】
失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。
仕事に出る母親を姉弟で玄関で送り出した。
母親が深夜2時ごろに帰宅すると、二人の姿がなかった。
玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食を摂って食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。
二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。
同夜は雨だったが、傘は置いてあった。
所持金は小遣い程度で、自分たちだけで遠出したことはなかった。
当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・和田佑介さんについて》
◆氏名:和田 佑介
(わだゆうすけ)
(Yu-suke Wada)
◆失踪年月日:平成14(2002)年5月7日
◆生年月日:昭和52(1977)年1月30日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:広島県広島市佐伯区
◆当時の身分:会社員
◆身長:172cm
◆体重:80kg
◆失踪場所:広島県広島市佐伯区

【失踪状況】
5月7日、会社から無断欠勤していると連絡がある。
その後行方が分からず。
アパートは、冷蔵庫湯沸しポットなど、全て電気も入れてあり、普通どおりの生活感があり、ちょっと外へ出ると言ったような様子。携帯電話、銀行通帳、キャッシュカード、ガソリンカード、免許証、タバコ入れは無かった。
失踪前日まで、全く変わった様子はなかった。
島根県警HP
http://www.pref.shimane.lg.jp/police/
拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市
https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs
拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市
https://youtube.com/watch?v=T5NLto6vx1M

《特定失踪者・平本敏昭さんについて》
◆氏名:平本 敏昭
(ひらもととしあき
(Toshiaki Hiramoto)
◆失踪年月日:昭和25(1950)年9月21日
◆生年月日:昭和4(1929)年6月19日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:広島県安芸郡音戸町
◆当時の身分:昭和25年4月から広島市二保町の青崎小学校教諭
◆身長:180cm
◆体重:65kgくらい
◆特徴:
1)八重歯
2)足のひざに手術痕
3)喫煙する
4)酒は少々飲む
◆失踪場所:大分県中津市

【失踪状況】
北朝鮮からの引き揚げ者家族。
咸鏡南道咸興に居住。
昭和21年5月に南に脱出、以後日本に引き上げ。
夏休みになり広島より帰省。
8月16日長女・差知子を連れて盆踊りに参加。
翌朝10時頃「学校へ行く」といって出かけ行方がわからなくなる。
家族は9月7日~8日頃学校から電話で出勤していないことを知る。
急ぎ広島に行くも手がかりなく。間借り先もそのまま。
九州の知人・井上利之さん宅(大分県中津市本町464井上利之方)に9月21日頃まで逗留していたとしばらくして判明。
兄・和丸(昭和23年失踪)を探していたとのこと。
母親の墓が北朝鮮にあったので遺骨を持ち帰るために何らかの方法で北朝鮮に渡った可能性もある。
大分県警HP
http://www.pref.oita.jp/keisatu/

《特定失踪者・藤原英二さんについて》
◆氏名:藤原 英二
(ふじわらえいじ)
(Eiji Fujiwara
◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月
◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の身分:調理師。東京の弁当工場に勤務
◆当時の住所:東京都新宿区
◆身長:168cm
◆特徴:
1)中肉
2)色弱と乱視あり
3)趣味は釣り
◆失踪場所:福井県

【失踪状況】
昭和50年正月の1日か2日頃の夜(19時頃)、突然広島の実家に電話をしてきて、家族に「いま福井に釣りに来ている」と語る。
その後一切の連絡がなく行方不明となる。
同年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、前年末から出勤していないとのこと。
その春、姉が東京の居候先である友人宅へ行くと、衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。
昭和50年1月の1日か2日頃(夜7時頃)、突然家族に「今、福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。
しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
福井県警HP
http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・和智 博さんについて》
◆氏名:和智 博
(わちひろし)
(Hiroshi Wachi)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年
◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆当時の住所:福岡県朝倉郡朝倉町(現・朝倉市
◆当時の身分:建設作業員
◆身長:158cmくらい
◆体重:55kgくらい
◆特徴:
1)盲腸炎の傷跡
2)犬歯(左上、プラチナ)
◆失踪場所:福岡市内

【失踪状況】
福岡市内に住む姉が急死したあと、行方不明となる。
当時住み込みで福岡県内の建設作業員として働いていた。
最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたいと」言い残して失踪。
行き先は不明。
昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。
44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regim.