【みんな生きている】田口八重子さん[首相面会]/KTS
-その命、見捨てますか?-
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!首相、拉致被害者家族と面会 「拉致提起」を報告》
安倍晋三首相は3月6日午後、北朝鮮による拉致被害者の家族たちと面会し、米・朝首脳会談での拉致問題のやり取りについて説明しました。
安倍首相は、
「トランプ大統領からは、金正恩(キム・ジョンウン)委員長に対しまして、この拉致問題を提起していただき、私の考えを伝えていただいたということでございます」
と述べました。
拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表(田口八重子さんの兄)は、
「自らが北朝鮮当局ときちっと向き合っていくという覚悟をお聞きしまして、わたしたちは、非常にそれにまさに期待している」
と話しました。
安倍首相は、先の米・朝首脳会談で、ドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領が金正恩委員長に対し、1対1の会談と夕食会の2度にわたり、拉致問題を取り上げ、自身の考えを伝えたと説明し、今後、金正恩委員長と直接向き合う考えを重ねて示しました。
飯塚代表は、
「北朝鮮の態度が硬化していない状況が伺われるので期待している」
と述べ、安倍首相に対し、引き続き解決に向け努力するよう求めました。
■田口八重子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html
■田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/
■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo
■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■ベナTVHP
http://www.benamu.org
■ベナTVブログ
http://blog.naver.com/benamu1004
■ベナTVFacebook
http://www.facebook.com/bnatv1004
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM
■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8
■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl
◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」
※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html
[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]
Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."
◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(Rumiko Masumoto)
(拉致被害時24歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:市川修一さん(Shu-ichi Ichikawa)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
[August 12, 1978: Couple abducted]
Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)
Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.
North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
《特定失踪者・田中正道さんについて》
◆氏名:田中 正道
(たなかまさみち)
(Masamichi Tanaka)
◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:44歳
◆当時の住所:茨城県久慈郡金砂郷村
◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆特徴:痩せ型
◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている
◆失踪場所:千葉県習志野市
【失踪状況】
5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。
入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。
退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。
6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。
6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。
6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。
同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。
車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■茨城県警HP
http://www.pref.ibaraki.jp/kenkei/
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
《特定失踪者・園田 一さんについて》
◆氏名:園田 一
(そのだはじめ)
(Hajime Sonoda)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:大正7(1918)年2月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:53歳
◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町
◆当時の身分:養鶏場勤務(管理人)
◆身長:160cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
【失踪状況】
当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。
失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町に北朝鮮の工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。
同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
《特定失踪者・園田トシ子さんについて》
◆氏名:園田 トシ子
(そのだとしこ)
(Toshiko Sonoda)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:昭和4(1929)年9月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:42歳
◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町
◆当時の身分:養鶏場勤務
◆身長:155cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
【失踪状況】
当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。
失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町に北朝鮮の工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。
同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。
「トシ子」が戸籍名だが、「敏子」を使うこともある。
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
《特定失踪者・種田 誠さんについて》
◆氏名:種田 誠
(たねだまこと)
(Makoto Taneda)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:京都府京都市山科区
◆当時の身分:焼肉料理店チーフ
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:京都府京都市
【失踪状況】
京都市内のアパートから失踪。
「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。
以来何の連絡もない。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
《特定失踪者・日高満男さんについて》
◆氏名:日高 満男
(ひだかみつお)
(Mitsuo Hidaka)
◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日
◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島郡三島村
◆身長:171cm
◆当時の身分:港湾土木作業員
◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域
【失踪状況】
漁船大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。
午後2時頃他の漁船に目撃されているのが最後。
日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った。
翌24日諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。
船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で糸も垂れたままだった。
不明となった1~2年後無言電話あり。毎日深夜12~1時、1カ月くらい続く。無言だが無線(モールス)のような音が聞こえた。
その日出漁したのは15~16隻。
《特定失踪者・加藤義美さんについて》
◆氏名:加藤 義美
(かとうよしみ)
(Yoshimi Katou)
◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日
◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:50歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町
◆当時の身分:船員
◆身長:164cm
◆体重:56kg
◆特徴:歩行時に左足を引きずる
◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦港
【失踪状況】
港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。
2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。
本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。
翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。
1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。
《特定失踪者・羽生弘行さんについて》
◆氏名:羽生 弘行
(はぶひろゆき)
(Hiroyuki Habu)
◆失踪年月日: 昭和30(1955)年10月23日
◆生年月日:大正6(1917)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢: 37歳
◆当時の住所:鹿児島県熊毛郡屋久町
◆当時の身分:漁師(半農半漁)
◆身長:165cm
◆血液型:A型
◆特徴:
1)色黒
2)左目の視力なし
3)痩せ型
4)喫煙する、酒は少々
◆失踪場所: 鹿児島県熊毛郡屋久町
【失踪状況】
所有する「なには丸」に他6名とともに屋久島の栗生川河口から口永良部島に向かうが戻らず。
後に口永良部島に入港していないことが判明。
《特定失踪者・宮脇留義さんについて》
◆氏名:宮脇 留義
(みやわきとめよし)
(Tomeyoshi Miyawaki)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日
◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:山口県光市
◆当時の身分:製鉄会社社員
◆身長:165cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)骨組みがっちり
3)手足大きめ
4)左目尻に1cmくらいの傷あり
5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり
6)話し方に時々鹿児島弁が出る
7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有
8)酒好き
◆失踪場所:山口県光市
【失踪状況】
鹿児島県出身。
福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。
事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。
失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。
同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。
10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。
同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。
給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。
■山口県警HP
http://www.police.pref.yamaguchi.jp/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
《特定失踪者・佐藤益一さんについて》
◆氏名:佐藤 益一
(さとうますいち)
(Masuichi Satou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日
◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮
◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)
◆身長:163cm
◆特徴:
1)痩せ型
2)縮毛
3)山歩きが好き
◆失踪場所:大阪府池田市か?
【失踪状況】
6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。
背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。
この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。
6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。
警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。
池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。
その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078
[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!首相、拉致被害者家族と面会 「拉致提起」を報告》
安倍晋三首相は3月6日午後、北朝鮮による拉致被害者の家族たちと面会し、米・朝首脳会談での拉致問題のやり取りについて説明しました。
安倍首相は、
「トランプ大統領からは、金正恩(キム・ジョンウン)委員長に対しまして、この拉致問題を提起していただき、私の考えを伝えていただいたということでございます」
と述べました。
拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表(田口八重子さんの兄)は、
「自らが北朝鮮当局ときちっと向き合っていくという覚悟をお聞きしまして、わたしたちは、非常にそれにまさに期待している」
と話しました。
安倍首相は、先の米・朝首脳会談で、ドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領が金正恩委員長に対し、1対1の会談と夕食会の2度にわたり、拉致問題を取り上げ、自身の考えを伝えたと説明し、今後、金正恩委員長と直接向き合う考えを重ねて示しました。
飯塚代表は、
「北朝鮮の態度が硬化していない状況が伺われるので期待している」
と述べ、安倍首相に対し、引き続き解決に向け努力するよう求めました。
■田口八重子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html
■田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■No Fence北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会HP
http://www.nofence.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■自由朝鮮HP
http://cheollimacivildefense.org/
■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」
https://youtu.be/QBJcDDGwdFo
■VOA拉致問題動画
https://youtu.be/o2i_u8y8GJM
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html
■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」
http://kenkato.blog.jp/
■ベナTVHP
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■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画(3)
https://youtu.be/pMC2G7akiiM
■ベナTV(日本語版)
https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be
■ベナTV(日本語版)動画
https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8
■ベナTV脱北者日本語字幕版
https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl
◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」
※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html
[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]
Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."
◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(Rumiko Masumoto)
(拉致被害時24歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:市川修一さん(Shu-ichi Ichikawa)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
[August 12, 1978: Couple abducted]
Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)
Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.
North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
《特定失踪者・田中正道さんについて》
◆氏名:田中 正道
(たなかまさみち)
(Masamichi Tanaka)
◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日
◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:44歳
◆当時の住所:茨城県久慈郡金砂郷村
◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)
◆身長:168cm
◆体重:55kg
◆特徴:痩せ型
◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている
◆失踪場所:千葉県習志野市
【失踪状況】
5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。
入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。
退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。
6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。
6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。
6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。
同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。
車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。
■茨城県警HP
http://www.pref.ibaraki.jp/kenkei/
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/
《特定失踪者・園田 一さんについて》
◆氏名:園田 一
(そのだはじめ)
(Hajime Sonoda)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:大正7(1918)年2月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:53歳
◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町
◆当時の身分:養鶏場勤務(管理人)
◆身長:160cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
【失踪状況】
当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。
失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町に北朝鮮の工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。
同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
《特定失踪者・園田トシ子さんについて》
◆氏名:園田 トシ子
(そのだとしこ)
(Toshiko Sonoda)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日
◆生年月日:昭和4(1929)年9月7日
◆性別:女性
◆当時の年齢:42歳
◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町
◆当時の身分:養鶏場勤務
◆身長:155cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中
【失踪状況】
当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。
出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。
失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。
平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。
失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町に北朝鮮の工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。
同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。
「トシ子」が戸籍名だが、「敏子」を使うこともある。
■宮崎県警HP
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/
《特定失踪者・種田 誠さんについて》
◆氏名:種田 誠
(たねだまこと)
(Makoto Taneda)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月
◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:京都府京都市山科区
◆当時の身分:焼肉料理店チーフ
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:京都府京都市
【失踪状況】
京都市内のアパートから失踪。
「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。
以来何の連絡もない。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
《特定失踪者・日高満男さんについて》
◆氏名:日高 満男
(ひだかみつお)
(Mitsuo Hidaka)
◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日
◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島郡三島村
◆身長:171cm
◆当時の身分:港湾土木作業員
◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域
【失踪状況】
漁船大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。
午後2時頃他の漁船に目撃されているのが最後。
日没後も帰港しないので諏訪瀬島の漁船、海保巡視船、航空機による捜索を行った。
翌24日諏訪瀬島切石港沖合で無人のまま漂流している船を発見。
船は燃料切れだったが、トローリングをしていた状態で糸も垂れたままだった。
不明となった1~2年後無言電話あり。毎日深夜12~1時、1カ月くらい続く。無言だが無線(モールス)のような音が聞こえた。
その日出漁したのは15~16隻。
《特定失踪者・加藤義美さんについて》
◆氏名:加藤 義美
(かとうよしみ)
(Yoshimi Katou)
◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日
◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:50歳
◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町
◆当時の身分:船員
◆身長:164cm
◆体重:56kg
◆特徴:歩行時に左足を引きずる
◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック
◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久町宮之浦港
【失踪状況】
港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。
2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。
本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。
翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。
1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。
《特定失踪者・羽生弘行さんについて》
◆氏名:羽生 弘行
(はぶひろゆき)
(Hiroyuki Habu)
◆失踪年月日: 昭和30(1955)年10月23日
◆生年月日:大正6(1917)年11月5日
◆性別:男
◆当時の年齢: 37歳
◆当時の住所:鹿児島県熊毛郡屋久町
◆当時の身分:漁師(半農半漁)
◆身長:165cm
◆血液型:A型
◆特徴:
1)色黒
2)左目の視力なし
3)痩せ型
4)喫煙する、酒は少々
◆失踪場所: 鹿児島県熊毛郡屋久町
【失踪状況】
所有する「なには丸」に他6名とともに屋久島の栗生川河口から口永良部島に向かうが戻らず。
後に口永良部島に入港していないことが判明。
《特定失踪者・宮脇留義さんについて》
◆氏名:宮脇 留義
(みやわきとめよし)
(Tomeyoshi Miyawaki)
◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日
◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:山口県光市
◆当時の身分:製鉄会社社員
◆身長:165cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)骨組みがっちり
3)手足大きめ
4)左目尻に1cmくらいの傷あり
5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり
6)話し方に時々鹿児島弁が出る
7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有
8)酒好き
◆失踪場所:山口県光市
【失踪状況】
鹿児島県出身。
福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。
事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。
失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。
同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。
10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。
同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。
給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。
■山口県警HP
http://www.police.pref.yamaguchi.jp/
■福岡県警HP
http://www.police.pref.fukuoka.jp/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
《特定失踪者・佐藤益一さんについて》
◆氏名:佐藤 益一
(さとうますいち)
(Masuichi Satou)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日
◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮
◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)
◆身長:163cm
◆特徴:
1)痩せ型
2)縮毛
3)山歩きが好き
◆失踪場所:大阪府池田市か?
【失踪状況】
6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。
背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。
この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。
6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。
警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。
池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。
その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078
[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]
Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.
【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.