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【みんな生きている】金正男編[LOLミニスカ奇行]/SBC

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《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!金正男氏殺害、逮捕の女は犯行前後に奇妙な行動》

【2月16日木曜日】
金正男キム・ジョンナム)氏殺害の実行犯だとして女は2月16日、7日間の勾留が決まりましたが、姿を見せるとされた裁判所は報道陣であふれました。
金正男氏の遺体が安置されたマレーシア・クアラルンプールの病院には、北朝鮮の関係者が頻繁に訪れています。複数の韓国メディアは、病院を訪れたマレーシア駐在の北朝鮮大使たちが「遺体を解剖せずに北朝鮮側に引き渡すよう強く求めた」と伝えました。
解剖を行うかどうかは、捜査を担当するマレーシア側に決定権がありますが、北朝鮮側はマレーシア当局を圧迫し、事実上の介入を試みたのです。
これに対して、韓国側はマレーシア政府に対して、「真相解明のために必ず解剖しなければならない」と働きかけたということで、結局、司法解剖は行われました。
その後、北朝鮮の大使館も遺体が正男氏だと病院で確認したことを、マレーシアの副首相が会見で発表。そして、遺体については北朝鮮側へ引き渡すと明らかにしました。

「病院と警察がDNA検査で身元の裏付けを行っています」
(マレーシア副首相)

しかし、死因については、まだ特定できていないと述べています。
一方、マレーシア警察は16日、金正男氏の殺害に関わったとして、新たにインドネシアパスポートを所持した25歳の女を逮捕しました。現地警察は15日、実行犯として、ベトナムのパスポートを所持した28歳の女を逮捕しています。
空港の監視カメラの映像に写ったこの容疑者の女のすぐそばにいるのは、16日、新たに逮捕された女とみられ、2人は行動をともにしていたことがうかがえます。
中国では、マレーシアの警察署から移送される容疑者の女とみられる映像が報じられらています。犯行の背景には一体何があるのでしょうか。
15日逮捕された実行犯とみられる女。パスポート上の名前は、ドアン・ティ・フオン。ベトナム国籍、28歳と記載されていました。

「空港で乗客にいたずらしようと言われた。殺人とは知らなかった」
(フオン容疑者)

犯行直後、フオン容疑者はホテルに大きなクマのぬいぐるみを持ち込みました。

「彼女は『テディベアが好き』と言っていました。彼女はとてもかわいい人でした」
(ホテルの従業員)

JNNの取材で、容疑者の奇妙な行動が浮かび上がってきました。フオン容疑者は犯行前日、空港近くのホテルにチェックインしました。

「ここはまさに隣の部屋に当たります。このような狭くて非常に質素な部屋で、彼女は犯行の準備をしていました」
(JNN記者)
「(部屋に髪の毛が散らかっていて)このハサミで切ったんじゃないかと思った」
(部屋の清掃担当者)

フオン容疑者は犯行当日の午前8時にホテルを出発。1時間後の午前9時ごろ、犯行に及んで空港を後にします。向かった先は別のホテルでした。
午前9時36分、スマートフォン片手に笑顔を見せてチェックインしたフオン容疑者に、従業員は、ある異変を感じたといいます。

「チェックインのときパスポートをチェックして、この辺りを触ったら、何か強いニオイがしました。おなかが痛くなりました」
(ホテルの従業員)

パスポートを触った手で顔を触ると異臭がし、体調を崩したというのです。
女はチェックインした後、いったんホテルを出て、前日に泊まっていたホテルに戻ります。そして午前10時2分。大きなクマのぬいぐるみを抱えて戻ってきたのです。従業員に対して、「テディベアが好き」と説明。インターネットの通信速度が速いため、このホテルに移ってきたと話したといいます。
その後、外出しなかったというフオン容疑者。15日午前、このホテルで身柄を拘束されました。

「(拘束の際)彼女は笑っていました」
(ホテルの従業員)
Q.笑っていた?
「ええ、笑っていました。泣いたりしていませんでした」
(ホテルの従業員)

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
長野県警HP
http://www.pref.nagano.lg.jp/police/
救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
脱北者・金柱聖さん動画
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be



《特定失踪者・中塚節子さんについて》
◆氏名:中塚 節子
(なかつかせつこ)
(Setsuko Nakatsuka)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年6月16日
◆生年月日:昭和20(1945)年6月5日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:東京都文京区
◆当時の身分:印刷会社勤務
◆身長:155cm~158cm
◆特徴:
1)色白
2)富士額
◆失踪場所:東京都文京区の会社の近く

【失踪状況】
仕事を終えて「ちょっと出かけてくる」と同僚の男性と小銭を持ってサンダル履きで出かけたまま行方不明。
おやつでも買いに出た感じだったという。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・白鳥英敏さんについて》
◆氏名:白鳥 英敏
(しろとりひでとし)
(Hidetoshi Shirotori)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年7月
◆生年月日:昭和24(1949)年10月27日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:長野県松本市
◆当時の身分:信州大学農学部1年
◆身長:165cm~170cm
◆体重:60kg~65kg
◆失踪場所:長野県松本市の下宿先から

【失踪状況】
松本市の下宿先より行方不明。
家主が毎日、下宿から出かけるとき、帰ったときに声をかけていたが、本人が入院中のため留守で、いつごろからいなくなったのか分からない。
退院してきていなくなったのではないかと、家主から家族に連絡があった。
家族が大学に行き調べた結果、7月中旬頃大学の図書館で見かけた人がいることが分かった。
父宛ての最後のはがき(昭和44年6月25日付)では、学生紛争中ではあるが少しはクラスで勉強したり、クラブでコロナ観測所に行くこと、6月30日の夕方に帰ること等が書いてあった。
学生運動に熱中している様子もなく、家出する理由もない。
部屋の中も暮していたままで食事のあとがそのままで、食器も洗わずに置いてあった。

《特定失踪者・小宮山広明さんについて》
◆氏名:小宮山 広明
(こみやまひろあき)
(Hiroaki Komiyama)
◆失踪年月日:平成7(1995)年6月19日
◆生年月日:昭和39(1964)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:30歳
◆当時の住所:長野県坂城町
◆当時の身分:工場勤務
◆身長:167cm
◆体重:60kg
◆特徴:左ひじに手術痕
◆失踪場所:長野県埴科郡坂城町

【失踪状況】
平成7年6月19日、車両で自宅を出た後、行方不明。
詳細不明。
当日他の家族は家にいなかった。

《特定失踪者・菊地寛史さんについて》
◆氏名:菊地 寛史
(きくちひろし)
(Hiroshi Kikuchi)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月5日
◆生年月日:昭和52(1977)年11月22日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:長野県佐久市
◆当時の身分:自動車会社勤務
◆身長:166cm
◆体重:56kg
◆失踪場所:研修の宿泊施設(長野県長野市サイクリングターミナル)

【失踪状況】
新人研修中に寮から行方不明。
4月5日、宿泊部屋が一緒だった同僚に「ジュースを買ってきてくれ」と頼み、同僚がジュースを買って部屋に戻るといなくなっていた。
荷物、免許証、財布、スーツ、靴等も残したままだった。
平成10年~13年くらいまでの間に時々数回だけ鳴って切れる電話があった。
そのほとんどが非通知だった。こちらが出たとたんに切れる電話もあった。
平成15年くらいからは、ほとんどそれも無くなった。

《特定失踪者・渋谷浩邦さんについて》
◆氏名:渋谷 浩邦
(しぶやひろくに)
(Hirokuni Shibuya)
◆失踪年月日:平成10(1998)年8月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:34歳
◆当時の住所:神奈川県厚木市
◆当時の身分:県庁職員
◆身長:168cm
◆特徴:
1)太り気味
2)むち打ちで寒いと痛みが出る
3)趣味は山とスキー、全国の山を登っている
◆失踪場所:長野県白馬山中

【失踪状況】
8月2日、「5日夜か6日の朝に帰宅する」と言い残して長野県白馬に登山に出かける。失踪当日午後1時頃、「大町市の黒部観光ホテルに着いたので、これから山に行く」と電話があった。
白馬山荘に2泊し、4日の朝5時頃1人で出たが、方角は不明。車でホテルまで行き、荷物を預けて、そこからバスで乗ったのをホテルの客が見ている。
5日、ホテルから自宅に電話が入る。
平成11年3月頃までヘリを何回かとばして捜す。車の中には着替えたものがあった。
預金が引き出された形跡なし。
失踪した年の暮れ頃から平成13年まで無言電話や不審な電話あり。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.