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【みんな生きている】COI編/産経新聞(1)

北朝鮮の人権状況を調べる国連の調査委員会(COI)は2月17日、日本人等外国人拉致や公開処刑等の残虐な人権侵害行為を挙げ、北朝鮮が国家として組織的に「人道に対する罪を犯した」と非難する最終報告書を公表した。北朝鮮の人権侵害をめぐる包括的な国連報告は初めて。
報告書では、外国人拉致が1950年代から組織的に日本や韓国、欧州等で行われていたと指摘。「最高指導者が承認していた」として、金日成(キム・イルソン)主席や金正日キム・ジョンイル)総書記が認識していたとした。
調査委のマイケル・カービー(Michael Kirby)委員長は記者会見で

金正恩キム・ジョンウン)第1書記自身も人道に対する罪の責任がある可能性がある」

と強調した。
また、報告書では北朝鮮による人権侵害を裁くため、国連安全保障理事会に対し、国際刑事裁判所(ICC)に付託するよう勧告している。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

《特定失踪者・辻 與一さんについて》
◆氏名:辻 與一
(つじよいち)
◆失踪年月日:昭和56(1981)年12月5日
◆生年月日:昭和24(1949)年2月6日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆当時の身分:工業高校教諭(英語)
◆当時の住所:三重県桑名市大字上野
◆特徴:
1)メガネ(近視用)をかけている
2)時々顎をはずすことがある
◆失踪場所:三重県桑名市

【失踪状況】
勤務校では同和地区の生徒の指導を担当。
下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行った。
部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

《特定失踪者・川合健二さんについて》
◆氏名:川合 健二
(かわいけんじ)
◆失踪年月日:昭和54(1979)年4月4日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月6日
◆性別:男
◆当時の年齢:35歳
◆身長:167cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:山梨県中巨摩郡竜王町
◆特徴:左利き
◆失踪場所:山梨県中巨摩郡

【失踪状況】
車で接触事故を起こし、被害者を病院に送り届けてから行方不明。
車も見つかっていない。
失踪直前、10万円くらい小分けにして300万円が引き出されていた。

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》
◆氏名:小久保 稔史
(こくぼとしひと)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日
◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日
◆性別:男
◆当時の年齢:32歳
◆身長:163cm
◆体重:57kg
◆当時の身分:船員
◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町
◆特徴:
1)やせ型
2)浅黒
3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ
4)盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:京都府舞鶴市

【失踪状況】
舞鶴のスナックを一人で出た後不明。
午後7時に「パチンコ屋の横から」と言って自宅に普通の口調で電話があった。
船室もそのままだった。コートも置いてあった。
北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・大政由美さんについて》
◆氏名:大政 由美
(おおまさゆみ)
◆失踪年月日:平成3(1991)年3月28日
◆生年月日:昭和42(1967)年4月5日
◆性別:女
◆当時の年齢:23歳
◆身長:150cm
◆当時の身分:三重大学研究生
◆当時の住所:三重県津市江戸橋1丁目
◆特徴:下唇の下に縫合跡(2歳6カ月の時に5針くらい)
◆失踪場所:韓国慶州市

【失踪状況】
同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。
3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。
現地、慶州警察署で捜索。
1991年3月~1994年10月の間に数回無言電話。
正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。
受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。
北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。

《特定失踪者・辻出紀子さんについて》
◆氏名:辻出 紀子
(つじでのりこ)
◆失踪年月日:平成10(1998)年11月24日
◆生年月日:昭和49(1974)年11月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:24歳
◆当時の身分:雑誌社記者
◆失踪場所:三重県伊勢市

【失踪状況】
1998年(平成10年)11月24日午後11時頃、勤務先の三重県伊勢市神田久志本町の出版社「伊勢文化舎」を出た後、行方不明。
翌日、会社近くの損保会社の駐車場(当時。現在は自動車会社)で本人の車が発見された。車は荒らされた様子はなかった。
ただし、
1)車内にタバコが一本残っていたこと(本人はタバコを吸わない)
2)車の座席が後ろになっていたこと(本人の身長と合致しない)
3)カーステレオのスイッチが切られていたこと(本人はいつもスイッチをつけっぱなしだった)
以上3点から、本人ではない第三者が車を移動した可能性がある。また、前日までタイに旅行に行っており、帰国したばかりだった。
失踪の直前、取材で知り合った尾鷲市在住の男性から数度本人に電話があり、その男性と駐車場で待ち合わせをしたと推測されている。
同男性によれば、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」というものだった。
三重県警は、同男性を被疑者として別件(別の女性の拉致監禁容疑)で逮捕したものの、裁判で無罪となった。
同男性は「無罪になれば全てを話す」と語っていたが、その後一切の証言を拒否している。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。