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【みんな生きている】松本京子さん/NHK

北朝鮮による拉致問題の解決を願うシンポジウムが10月28日、鳥取県米子市で開かれ、米子市出身の拉致被害者松本京子さんの兄の孟さんたち被害者の家族が1日も早い解決を訴えました。
このシンポジウムは、拉致問題の早期解決に向けて国民の関心を高めようと政府や鳥取県等が米子市で開き、市民をはじめおよそ350人が参加しました。
シンポジウムには、松本京子さんの兄の孟さんや家族会の代表で田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんたちが出席しました。
はじめに飯塚さんが
「残された妹の子どもも母親のぬくもりも何も知らないまま36歳と38歳になった。政府だけでなく自治体や市民の方とともに『オールジャパン』でこの問題に取り組んでいきたい」
と述べました。
このあと松本 孟さんも
「去年亡くなった母親の墓前に嬉しい報告ができるように頑張りたい。このまま解決しなければ私たちも苦しいが北朝鮮拉致被害者の苦しみは増すばかりだ。皆さまが強い関心を持ち、力を貸してもらえれば必ずこの問題が解決できると思う」
と1日も早い解決を訴えました。
北朝鮮情勢に詳しい静岡県立大学の伊豆見 元教授も講演し、
経済制裁等の圧力も必要だがそれだけでは北朝鮮の態度を変えられず、メリットも与える必要がある。金正恩キム・ジョンウン)第1書記の体制も安定してきており、経済の再建に向けて拉致問題等の交渉に取り組む可能性がある」
と指摘しました。
松本 孟さんは
「妹が行方不明になって36年というのは長い月日ですが、いまだに解決していないことは残念です。妹も年齢が年齢だけにとにかくがんばって元気でいてほしいと思います」
と話していました。

◆昭和52(1977)年10月21日
女性拉致容疑事案
被害者:松本京子さん(拉致被害時29歳)
自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

◆昭和55(1980)年6月中旬
辛光洙シン・グァンス)事件
被害者:原 敕晁さん(拉致被害時43歳)
宮崎県内で発生。
本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。
捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。
北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。
また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。
北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

《特定失踪者・古都瑞子さんについて》
◆氏名:古都 瑞子
ふるいちみずこ)
◆通称:古都 洋子
ふるいちようこ)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日
◆生年月日:昭和5(1930)年4月8日
◆性別:女性
◆当時の年齢:47歳
◆身長:148cm
◆体重:45kg
◆当時の身分:皆生温泉の中居
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆特徴:色白で面長
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺

【失踪状況】
午後9時に旅館での仕事を終え一時帰宅。
その後普段着に着替え出かける。
自宅には近く東京へ行く切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩いていたポケベルも置いたまま。
北朝鮮から脱北した元踊子による目撃証言がある。
平成19年8月21日、米子警察署に告発状を提出。

《特定失踪者・矢倉富康さんについて》
◆氏名:矢倉 富康
(やくらとみやす)
◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日
◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日
◆性別:男
当時の年齢:36歳
◆身長:165cm~170cmくらい
◆当時の身分:漁師(元エンジニア)
◆当時の住所:鳥取県米子市
◆失踪場所:鳥取県美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった

【失踪状況】
一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。
海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。
8月10日に海上保安庁竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。
左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。
昭和59年まで軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアで、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。

《特定失踪者・上田英司さんについて》
◆氏名:上田 英司
(うえだえいじ)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日
◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:20歳
◆身長:175cm
◆当時の身分:予備校生でアルバイト勤務
◆当時の住所:東京都渋谷区
鳥取県西伯郡伯耆町出身
◆特徴:読書が趣味
◆失踪場所:東京都または京都府

【失踪状況】
失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。
黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

鳥取県警公開特定失踪者・木町勇人さんについて》
◆氏名:木町 勇人
(きまちはやと)
◆当時の年齢:20歳
◆当時の住所:京都府宇治市
鳥取県西伯郡大山町出身
◆当時の職業:大学生
◆身長:165cmくらい

【失踪状況】
昭和50年8月25日、京都府宇治市の下宿先を出て以降、所在不明となっています。

新潟県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170?くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、職場を出た後、行方不明になっています。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。