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【みんな生きている】キム・ハナさん

《「いつの日か、コチェビたちに『癒しの料理』を」脱北者出身の料理人キム・ハナさん》

韓国の料理番組で注目を浴びた脱北者のキム・ハナさん(25歳)。
花柄の衣装を着て、髪を茶色に染めて番組に出演したキムさんの風貌からは、北朝鮮で幼少期に孤児「コッチェビ」として育ったとは思えない。
3度脱北を試み、15歳の時にようやく成功したというキムさん。アマチュアシェフが腕を競う「マスターシェフ・コリア」で幼少期の過酷な体験談を披露し、視聴者の心をつかんだ。
また、北朝鮮と韓国料理を融合したキムさんの作品は、辛口で知られる番組の審査員の評価も上々で、応募者6,500人の中から最後の6人に残った。
幼少期、キムさんの両親は脱北し、キムさんは事実上の一人暮らしを強いられた。学校を中退したキムさんは3年間「コッチェビ」として生活。
路上で寝泊まりし、食料を漁ってスリもやった。トンボやカエル、ネズミ等食べられるものなら何でも口にしたという。
両親はキムさんを救い出すため、国境を越えて何度も北朝鮮に戻った。その当時の様子をキムさんは、

「5日間何も食べずにいた時があった。その時、探しに来てくれた父親に会うことができ、食べ物を文字通り貪り食べた」

と振り返る。
「翌日、中国との国境を越えるため可能な限り速く走らなければならなかった。でも、私は、前の晩に食べ過ぎたためそれができなかった」
結局、キムさんは捕まり、北朝鮮に引きずり戻された。それ以来、父親に会うことはできていないという。

番組をきっかけに父親との再会を望むキムさん。

脱北者も公平な立場で競えば、結果が出せるということを証明したい。そして、いつか孤児たちに『癒やしの料理』を提供できる日を夢見ている」

と打ち明けた。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)