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【みんな生きている】北朝鮮浮浪孤児編

《『デイリーNK』が取材した北朝鮮の浮浪孤児》

デイリーNKは最近の北朝鮮内部の映像を単独入手した。同映像は先月北朝鮮が3度目の核実験を強行した3月12日以降に撮影されたもので、住民を対象にした大規模軍事訓練が実施されるなか、放置されているコチェビ(浮浪孤児)の姿が見られる。そこには両江道恵山周辺の市場と路肩商をはじめ、浮浪孤児、性売買関連の様子も見られる。別の映像では布告文や申告書等も確認された。
北朝鮮当局は最近、住民を対象に大規模軍事訓練を実施するとともに、軽工業大会等を開催し「人民生活の向上」等と強調している。その一方で、幼い身寄りのない子どもたちが路上に放置されていることが確認された。
金正恩キム・ジョンウン)は核やミサイルの開発に資金を浪費し、住民生活及び人権問題は手放し状態である。
北朝鮮は国連人権理事会が3月22日採択した、住民の生存権及び社会政治的権利の剥奪を指摘する人権決議案が「共和国に対する謀略の産物」と主張した。
『デイリーNK』が最近入手した映像には10歳程度の「コチェビ」(野宿者を指す北朝鮮の表現)が2月中旬、零下20度の極寒の中で両江道恵山周辺の住宅街に集まり野宿する姿が映し出されている。
住宅の塀の下には5、6人の子どもたちが身を寄せ合い震えながら寝ている。長い間入浴できていないせいか、衛生状態が非常に悪く衣服もぼろ布に近い。
夜中に撮影された映像では周辺環境の特定が困難だが、子どもたちが雪が積もった路上で身を寄せ合い野宿する様子が見られる。カメラの光に目が覚めた子どもたちは、土で汚れた顔を眩しそうにしかめている。
真冬の気温が零下40度近くにもなる中国長白と向かい合っている恵山地域では、12~2月の間になると零下30度まで気温が下がる。撮影当時の気温は零下20度程度で、10歳程度の子どもが凍死せずに生きていること自体が奇跡に近い。
北朝鮮の浮浪孤児は真冬でもまともな住処もないまま、住宅街で辛うじて延命していると北朝鮮の内部消息筋たちは話す。昼間は市場等で物乞いをし、夜になると一人二人と集まっては夜を明かすという。彼らは住宅街のゴミ捨て場周辺をはじめ、廃屋や公共施設、アパート等のはずれに集まる。
映像では撮影者が「起きなさい。まだここにいるの?家はないの」と問う。子どもたちの答えは「無いです」だ。撮影者がもう一度家が無いのかと質問をするや、子どもたちは咳をしながら同じ言葉を返す。
撮影者は翌日午後、浮浪孤児が焚き火の周りで体を温めている姿を撮影した。雪がちらつくなか、4人の子どもたちは火を囲んで座り、靴と靴下などを乾かしていた。「ここで働いてくれる子はいないかな?寝る場所と食事もあげるよ」と撮影者が話しかけたところ、子どもたちは「何の仕事ですか?」と聞き返してきた。
撮影者は「木を切り運ぶ仕事できるかな?」と聞く。一人の子どもは「腕が痛くて木は切れません。汽車に轢かれたんです」と答えた。他の子どもたちも「そういう仕事は(大変だから)できません」と答えた。
2009年11月、北朝鮮の貨幣改革以後、北朝鮮社会は深刻な両極化時代に突入した。その日暮らしだった都市の零細商人たちの少ない資金が当局によって奪われた結果、彼らは脆弱階層へと転落した。金正恩執権(政権)発足から1年間、これといった経済改革が行なわれず、離婚、両親の家出、児童遺棄等が増加し、浮浪孤児となった子どもたちも増えた。
消息筋は

北朝鮮当局が核実験に成功したと宣伝し、内部の緊張を高めようと戦闘準備態勢訓練を実施しているが、住民の生活は苦しくなる一方。生活苦で親に捨てられた子どもたちは、市場で商人や通行人に物乞いしながら生活する浮浪孤児になった」

と話した。
さらに

「子どもたちは通常2、3人ずつ集団で行動する。市場の周辺に少なくて10人、多いときは30人程度の浮浪孤児がいる。国は浮浪孤児を集め救護所に送り集団生活をさせているが、食べ物をまともに与えないため逃げ出す子どもが多い」

と付け加えた。
北朝鮮当局は金日成(キム・イルソン)・金正日キム・ジョンイル)の誕生日等の祝日には特別取り締まりを行い、浮浪孤児を救護所に送るが、祝日が終わるとほとんど見放し状態である。
金正恩は昨年12月、長距離ミサイルの発射に少なくとも7億8000万ドルを投入したものと韓国国防省は推算している。核開発の費用まで合わせると現在まで北朝鮮大量破壊兵器開発費用は最小でも28億ドルに達する。

【コチェビ】
家族や親戚等の身寄りがなく路上生活をしながら物乞いをする人を指す北朝鮮の表現。
「コチェビ」の語源は複数あるが、「流浪、遊牧、さすらい」という意味のロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来するというのが最も有力。
北朝鮮の外交官や海外駐在員たちは帰国後に必ず「思想総和」を行なわなければならない。1989年旧ソ連崩壊後、1990~1992年の間にロシアから帰国した北朝鮮の外交官たちは「旧ソ連社会主義を放棄したことにより、人民生活が破綻し浮浪者が急増した。彼らを見て我々式(北朝鮮社会主義を最後まで守らなければと確信した」という回答が流行した。
北朝鮮の外交官は小型ビデオカメラでロシアの浮浪者の姿を撮影し、ロシアの実態として説明したりもした。その際、「コチェビエ」という単語が北朝鮮の幹部たちに初めて紹介されたと伝えられる。
1995年の春、飢えに苦しむ地方住民が平壌に移動し始め、彼らの姿を見た幹部たちが「我が国にもコチェビエが誕生したか」と嘆き、一般住民の間に「コチェビ」という言葉が広く使用されるようになった。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)