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【みんな生きている】国際セミナー編(1)

12月14日に実施された国際セミナー北朝鮮拉致被害者最新情報と救出戦
略」に参加した李英秀氏(仮名)の報告要旨と、ビデオ報告した金賢姫氏の報告
要旨を予めまとめたものを当日配布しました。
以下に、その全文を掲載します。


■李英秀・金賢姫氏報告-国際セミナー配布資料

1.最新拉致情報-脱北者の証言
国際セミナー
(2012年12月14日)

李英秀(仮名)
1965年慈江道生まれ
韓国軍捕虜の息子 父は2006年死亡
1981年~1991年人民軍入隊
1980年金日成教示「在日帰国者、韓国軍捕虜の家庭からも一家に一人軍隊に入れて徹底的に革命思想を植え付けよ」が出たため入隊できた。
1991年~1994年軍除隊後、炭鉱配属を拒否し耀徳(ヨドク)収容所に。
家鴨の世話を任される保衛指導員と結託して高位層政治犯と家族知人との連絡をして謝礼を得る裏仕事をする。出所後も継続。
1996年~2007年作戦部資材調達係
2007年脱北
親しい友人だった作戦部幹部の息子Aから聞いた拉致情報
Aの父は肝硬変。金正日の配慮でドイツで手術したが、回復しなかった。
Aは父を民間療法で直そうと考え、私とともに薬草を求めて地方を回った。
××年、Aの父が死んだ。金正日世襲に合わせて、幹部が死んだとき、「代を継いで革命する」として息子を継がせることがあり、Aは作戦部指導員となる。



1.2002年小泉訪朝のときのAとの会話

A「将軍様が大きな失敗をした。誰か2、3人責任とって死ぬかもしれない。狐
のような小泉に騙されて拉致を認めた」
李「拉致を本当にしたのか」
A「したから認めた」
李「なぜ知っている」
A「親父が日本担当、親父が亡くなっていてよかった」
李「だいたい何人拉致したか」
A「多い」
李「何に使う」
A「考えてみろ」
李「関心ないから分からない。国交正常化になるのか」
A「分からない」
李「なるなら、対日貿易で儲けたい。松茸は日本で一番高く売れる」
A「拉致した日本人は使えた奴も使えなかった奴もいる。間諜教育で日本語を教えた。方言教育までしている」
李「お前も日本語教育を受けたか」
A「受けていない。普通1対1でやる。工作員は皆、仮名を使っていてだれが何
しているか分からない」


2.2004年年末か2005年はじめ平壌の食堂

「耀徳生たちは口が固い。めぐみという日本女性のにせ遺骨を送って連絡所は頭
が痛い。
横田めぐみは見てはならないものをみな見ている。知っていることが多い。帰し
たら連絡所の秘密をみな知られてしまう。秘密を知っているものが3、4人いる。
2人が連絡所にいる。2人は別のところにいる。
1970年代に金正日が後継者になり、工作機関と保衛部を掌握した直後、工作機関に『対南工作は制約が多いので、現地人を包摂して、テロ等をさせる工作員として使え。そのために拉致して家族を持たせて人質にせよ』と指示を下した。
そこで、北朝鮮人と外見が似ているアジア人の中で、過去朝鮮を侵略した日本人を多く拉致することになった。しかし、最終的に信じられず外国人を工作員として外国に派遣はせず、朝鮮人工作員の現地化教育のために使った。日本資料の翻訳もさせた。その時まで作戦部には対日担当部署がなかった。
拉致被害者の結婚は普通、朝鮮人ではなく外国人同士でさせた。非武装地帯を越えてきたアメリカ軍人の中で使える者はスパイとして使い、それができない者は映画俳優等に使った。
2002年9月、小泉純一郎は100億ドル出すと言ったので金正日はだまされ、拉致を認めて失敗した。当初、金正日は全員帰そうとしたが、作戦部は秘密が漏れると反対した。
金正日は2日ほど考えて、作戦部に誰を帰すか、帰さないかの分類をさせた。結果として交渉がうまくいかなかったので作戦部で幹部が多く飛ばされた。
父が死んでいて良かった。もしも父が生きていたら責任を取らされてクビになり家族は耀徳に送られていたかもしれない」


3.高英姫死亡(2004年8月13日)直後

高英姫は日本語をよく使った。その関係で幼くして拉致された日本女性に関心をもっていて、しばしば会って日本語で話していた」


4.2006年12月か2007年1月脱北時

脱北ブローカーが自宅を訪れ、韓国にいる父親の弟の写真を見せて韓国行きを勧めた。そのブローカーは、「日本人拉致被害者の情報を持ち出すとカネになる」と言ったので、平壌に行きAを訪問。

李「カネになる拉致の資料を頼む、良い就職をさせるという約束を破った代わりだ」
A「拉致日本人の資料は、いくら俺でもできない」
李「生きているか」
A「生きている」
李「何人知っている」
A「4人」
李「髪の毛を入手したい」
A「それはできない。10日くらい待て」
数日後、証明書写真4枚が横に並んでいるコピーを持ってきた。
A「この4人は生きている日本人拉致被害者だ。裏に日本名が書いてある。文献
(書類)についていた写真。作戦部管理の女性2人と対外連絡部管理の男性1名、女性1名。めぐみは特別管理しているので俺も接近できない」
李「どこで管理するのか」
A「普通、招待所で管理するが、朝鮮名を与えて朝鮮人にしているから登録は外国人がたくさん住むテソン地域にしてあるが実際はそこに住んでいない」
李「めぐみの朝鮮名は何か」
A「最初は○○○だったが(※覚えていない)、死んだとして偽遺骨を出したあ
とハン・スネに変えた」
李「結婚して家庭生活をするのか」
A「結婚させて子供も産ませる。相手は主として外国から連れてきた人間で朝鮮人ではない。たくさん拉致したが使えない者も多かった。工作員として育てるか工作員教育に使う。めぐみは拉致しようとしたのではない。日本海側の海岸に侵入して調査部工作員に会ってきた工作員が、海岸で幼い子ども一人に目撃された。
幼いので殺すのもできず連れてきた。めぐみは、最初は工作員として使おうとして訓練したがダメだったので、金正日政治大学で工作員の教育に使った。金正日政治大学ではある場所で6ヵ月か1年、1対1で教育するから自分の先生以外は知らない」
恵山で川を渡るとき、ブローカーが「持ってきた写真は、捕まったら没収されるから預かる」と言ったので、家族や友人の写真といっしょに日本人の写真を預けブローカーに盗まれた。
ブローカーは後日北朝鮮で処刑された。



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。