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【みんな生きている】国際セミナー編(2)

12月14日に実施された国際セミナー北朝鮮拉致被害者最新情報と救出戦略」に参加した李英秀氏(仮名)の報告要旨と、ビデオ報告した金賢姫氏の報告要旨を予めまとめたものを当日配布しました。
以下に、その全文を掲載します。



2.金賢姫氏インタビュー
平成24(2012)年11月28日ソウルにて。
聞き手は救う会西岡 力会長。


金正日工作員現地化命令

1970年代後半から金正日キム・ジョンイル)が対南工作を直接指揮した。それ以前の工作活動を点検し、「成果が少ない。画期的な対策を立てなければならない。そのためには外国人を利用しなさい」と、現地化教育を含めた方針が立てられた。
そして1970年代後半に、日本人を初め、全世界から拉致が行われたが、特に日本人が多い。それは地理的にも近いので拉致しやすいし、北朝鮮人が偽装するのに顔などが似ているからだ。
それ以外にも、中国、東南アジア、ヨーロッパからも拉致した。この時本格的に拉致が行われた。
私が工作員になってから幹部たちからそのことをよく聞いた。
金星政治軍事大学というのはスパイ養成所だ。私は対外情報調査部所属、情報
班の1期生だった。全員で6人か7人、くらいだった。衝立を隔てて授業を受けるので正確には分からない。私と金淑姫(キム・スクヒ)が女でそれ以外は男だった。同期生の5人か4人の男たちは、日本人化教育を受けたかどうか分からない。他の人たちについては、全部秘密になっているから自分のことしか分からない。
招待所を廻りながら、「夫婦の日本人がいる」と賄いのおばさんたちの話を聞き、相当日本人がいるのだなと感じたが、人数は不明だ。安明進氏が言っている日本人教官30人という数字は少し多いように感じる。
日本人化教育はずっと続けていた。しかし、1対1教育はそんなに多くない。
もともとの計画では、私は田口さんから日本人化教育を受け、すぐ日本に浸透させようとしていた。しかし、日本で事故が起こったので計画通りにできないと計画が変わり、1984年に中国人化教育を受けた。中国人化して台湾等を廻って中国人として日本に浸透する計画だった。日本に入って情報を得たり、日本に先に入っている固定工作員を点検することが任務だったようだ。


●拉致の目的

外国人を拉致する目的が3つある。1つは、外国人の身分証明書を盗用すること、2番目は、外国人を金日成(キム・イルソン)思想で洗脳教育させ北朝鮮工作員にして現地に浸透させること、3番目は教官として使うことだ。
1980年代に幹部たち、課長たちが招待所にきて「外国人を工作員として使おうと教育して外に出した。しかし、出すやいなや裏切ってしまった。やはり外国人は信頼できない。北朝鮮若い人たち工作員に教育する方法しかない」と話していた。
最初は対南工作に必要な人たちを選んで、狙って、誘惑して拉致したらしいが、後にどんどん競争的になり、無差別に拉致した。めぐみさんは子どもだから洗脳して工作員として使おうと拉致されたと思う。
4つめの拉致の目的として、秘密保護がある。浸入していて自分の正体が発見され危ないと思ったら、殺したり、拉致する。また拉致する途中、工作員として使う道がないと思ったらそのまま海に捨てることもあると聞いた。
対南工作では人権なんか構わない。証拠が残らないから海は捨てやすい。韓国人のこととして聞いたが、日本人もそういう可能性がある。
金日成時代は南出身の人、南に親戚や友だちがいる人たちを工作に使ったが、歳を取っていく。それで若い北朝鮮人で、南に関係がない人を選んで、現地化した。
私は1984年に、金勝一(キム・スンイル、1987年に共にKAL機爆破事件を起こす)と海外に出かけたが、金勝一はもう歳をとっているので、組織管理を交代させるという意味もあったと思う。次は若い私が彼の代わりにするというための海外実習をした。


●KAL機爆破事件と金賢姫の自白

1987年のKAL機爆破事件は、それとは別にソウルオリンピックを邪魔することが主な課題だった。前に2人1組で出かけたことがあり日本人になりすますためには、2人がよく似合うから選ばれた。もしKAL機事件が成功していたら、韓国も大きい打撃を受けた。
当時は誰がしたか分からない。日本人になりすました2人はいるが、正確に確かめることはできないので日本が疑われる。韓国では反日デモも起き、全斗煥(チョン・ドゥファン)政府や安企部は自作自演だと疑われ、オリンピックがどうなったか分からない。そういう雰囲気では日本もオリンピックに参加できないだろう。
また反日で日韓関係が悪くなっただろう。
バーレーンで捕まったときは最初日本人だと言ったが、偽のパスポートだとばれてしまったから日本人はやめて中国人になりすました。もし、中国に送られたら中国と北朝鮮は親しいから私を助けてくれるかと思った。
韓国に来ても中国語を話し、北朝鮮人ではないと主張した。私がやったKAL機事件が祖国統一を助ける仕事でなく、同族が殺し合う蛮行だと聞き、韓国は北朝鮮で聞いていたような悪い社会ではなく、北朝鮮より発展して、物が豊富で自由で、住みよいところなので、嘘の教育をされたと段々悟っていった。
家族のために悩んだが自白した。事件の遺族のために私が最後にできることは、真実を明らかにすることだと思った。
そのとき、田口さんのことも証言した。彼女は一生懸命私に教えてくれた私の日本語の先生だった。一緒に生活しながら彼女の苦痛、悩み、それをよく知っていたからだ(日本政府が、最初に日本人が拉致されていることを国会で明らかにしたのは1988年3月、金さんの記者会見の2か月後だ)。


●日本人拉致について

2002年に小泉総理が北朝鮮に行って、金正日に会った。それまで認めていなかった拉致を認めたことが大きな発展だと思う。もちろん北朝鮮側はお金を狙っていたし、秘密を知っていて返すと困る人は死亡だと言った。
1番の秘密は金正日の私生活、2番目の秘密が工作機関の情報だ。金正日が死んだから、以前とは違い、(金正恩政権が生存を認めることに)ちょっと余裕があるのではないかと思う。
めぐみさんのご両親にも謝まったが、私はめぐみさんのことを知っていたが最近までそのことを話さなかった。当時はみな拉致に関心がなく、田口さんを探すのも本当に時間がかかった。そして金淑姫に誘われて秘かに会ったので、話すと淑姫やめぐみさんが処罰されるかもしれないとも考えた。
ところが1997年からニュースに出た。ああ、私が知っている人だな、と明らかにしたかったが、機会がなかった。
韓国は左派政権になっていて、私はいじめられていた。


●フランス人被害者、中国人被害者

私が1984年、東北里2号特閣招待所に金勝一といた時、賄いのおばさんが、フランス人の女性がここに前にいた、と話した。最初北朝鮮に来た時には、男の工作員に誘われて恋愛するみたいになったが、突然その男が消えて、幹部たちが来た。
「(彼女が)『その男を出しなさい』と抗議したら、殴られた、涙をポロポロ流しながら泣いていた」と言いながら、写真を見せてくれた。
最初来た時か、名節の時か、記念写真を撮ったことがあるそうだ。普通サイズのカラー写真だった。目が青く、とても美人だった。
中国人被害者、ホン・レンインさんには1984年、めぐみさんに会う前中国語を教えてもらった。本人は言わなくても、賄いのおばさんや指導員から、「あの人はマカオから来た、弟がいる、最初来たばかりの時にインドネシア大使館に逃げて行き、連れてきてひどい目にあった」という話を聞いた。
私たちを教える前に、女性3人に中国語を教えたと言っていた。中国語を教えると、実習しやすいからすぐ中国に送る。日本は直接行けないから困るが、中国に送れば現地化ができる。
私がマカオから帰ったらもう結婚していた。淑姫と2人で一度自由主義をして会いに行った。北朝鮮工作員と結婚して龍城(ヨンソン)招待所にいた。子どもはいなかった。


●家族会、日本国民へのメッセージ

1970年代後半から今まで、本当に長い歳月が過ぎました。
被害者家族と日本国民が今まで力を合わせて一生懸命闘争してきましたけど、大きな成果がなくてちょっと疲れていると思います。
でも最近北朝鮮では、政権も代わりましたし、また拉致問題を再調査するという話も出ていますから、希望を絶対に失わないでください。
そして北朝鮮も、被害者家族の歳が段々高くなって、いつまでも待ち続けることができないことを分かってほしいのです。
家族のみなさんはいくら辛くても、彼らが帰ってくる日まで、最後まで希望の紐を放さないでください。
ありがとうございます。

◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」



拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。