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【みんな生きている】訪韓経験者編

《金総書記死後に力を持った「訪韓派」》

金正恩キム・ジョンウン)体制発足後の北朝鮮は、韓国を訪問した経験のある「訪韓派」が権力を握る雰囲気にある。
まず、2005年9月に仁川で開かれたアジア陸上選手権大会当時、北朝鮮の応援団員として韓国を訪れた李雪珠(リ・ソルジュ)氏が金正恩朝鮮労働党第1書記の夫人となっている。「金氏王朝の王妃」になったわけだ。
金正恩第1書記の後見人」として最高実力者の1人に挙げられる張成沢チャン・ソンテク朝鮮労働党行政部長も、党組織指導部第1副部長を務めていた2002年10月に北朝鮮の経済視察団(18人)の一員として韓国を訪問した。
張行政部長の一行は当時、サムスン電子現代重工業済州島や南山等を8泊9日の日程で訪れた。張氏は2004年に「分派助長」の疑いで左遷されたが2006年に復権し、金正恩氏による後継体制構築の中心となった。
韓国政府関係者は

北朝鮮は、張成沢氏の訪韓前後に経済改善措置を取った。現在、金正恩体制が変化の動きを見せる中、張行政部長の訪韓経験がどのような影響を及ぼすのか、注目する必要がある」

と語った。
張成沢行政部長の中心的側近に挙げられる文京徳(ムン・ギョンドク)平壌市党責任書記も、張成沢氏と共にソウルを訪れた。
今年4月に朝鮮労働党軽工業部長に就任した朴奉珠(パク・ボンジュ)氏も同じく、2002年の経済視察団のメンバーだった。当時、化学工業相だった朴奉珠氏は訪韓した翌年に首相に就任し、北朝鮮式の経済改革作業を陣頭指揮した。
だがその後、保守派の朴南基(パク・ナムギ)朝鮮労働党計画財政部長の反発に遭って2007年4月に失脚したが、金正恩氏が正式に登場する1ヶ月前に当たる2010年8月、軽工業部第1副部長に復帰した。
その一方で朴南基・計画財政部長はデノミネーション(通貨単位の切り下げ。デノミ)失敗の責任を問われ、2010年初めに銃殺された。
北朝鮮の事情に詳しい消息筋は

「このところ人民経済の向上を強調している金正恩第1書記が朴奉珠氏を重用するのは、韓国の経済発展を現地で視察し、4年間にわたって経済改革を推進した朴氏の経験を活用する意図があると考えられる」

と語った。
金第1書記は今年4月、初の公開演説の中で「人民の生活を再び切り詰めるようなことはしない」と語った。韓国を訪れ直接見て経験した訪韓派は、北朝鮮の変化の必要性を痛感した可能性が高い、と分析されている。
韓国安全保障部局の当局者は

北朝鮮の人間が韓国を訪れた際、韓国の産業施設やソウルの夜景等を十分に観光させた背景には、自ら何かを感じ取れるようにする意図があった」

と語った。
金養健(キム・ヤンゴン)対南(対韓国)書記兼朝鮮労働党統一戦線部長は、金正日総書記の晩年には随行メンバーからしばしば外されていたが、最近になって随行の頻度が高まっている。
金養建氏は2007年11月にソウルで当時の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領と、2009年8月には李明博(イ・ミョンバク)大統領とそれぞれ会談した。
金大中(キム・デジュン)元大統領の弔問のためソウルを訪れた金巳男(キム・ギナム)朝鮮労働党書記や、「南北会談の活動家」元東淵(ウォン・ドンヨン)党統一戦線部副部長も健在だ。
軍部では、2000年の秋夕(中秋節)に金正日総書記の準備した松茸を持ってソウルを訪れた朴在慶(パク・ジェギョン)総政治局宣伝副局長が代表的な訪韓派だ。
金第1書記の夫人・李雪珠氏の公式デビューの舞台となった7月6日の牡丹峰楽団による公演で、アメリカ映画『ロッキー』のテーマソングやディズニーのキャラクター「ミッキーマウス」が登場したのも、過去に韓国・中国双方を直接訪問した李雪珠氏の経験と無関係ではないという見方がある。
しかし、訪韓派の運命が全く平穏なわけではない。1992年7月に経済チームを率いてソウルを訪れた金達玄(キム・ダルヒョン)政務院副首相は、その翌年に左遷されて地方工場の支配人になった。平壌に戻り「開放」を建議したものの、金正日総書記から排除されたと言われている。
また、昨年1月に極秘裏に訪韓した柳敬(リュ・ギョン)保衛部副部長はスパイ罪に問われて銃殺された。
北朝鮮の事情に詳しい消息筋は

北朝鮮の幹部にとって、訪韓の経験は両刃の剣。変化の雰囲気の中では重用されるが、“首領”の考えが変わると常に“反動”として追われる危険がある」

と語った。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)