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【みんな生きている】柳敬編

《柳敬副部長、処刑前に韓国を訪問》

昨年初めに銃殺された北朝鮮の国家安全保衛部の柳敬(リュ・ギョン)副部長が粛清される直前、極秘裏にソウルを訪問していたことが7月27日までに分かった。
北朝鮮の事情に詳しい消息筋によると、2010年11月の延坪島砲撃事件以降、急速に冷え込んだ南北関係を打開するため、南北は2010年12月から昨年1月にかけて柳敬保衛部副部長と韓国の国家情報院(国情院)の高官を秘密裏に相互派遣した。
当時南北は、哨戒艦「天安」爆沈事件・延坪島砲撃事件の解決について「過去の不幸な事態に対し、遺憾に思う。再発防止に向けて努力する」というレベルで暫定的に合意し、首脳会談を推進していたと伝えられている。
柳副部長は平壌に戻った後、反対派から「対韓国戦略を韓国側に漏らした」と攻撃され、さらに自宅から巨額の米ドル紙幣が見つかったため、スパイ罪に問われて直ちに銃殺されたという。
柳副部長のソウル訪問について国情院は7月27日

「確認されていることはない」

と発表した。これまで国情院は、この種の主張に対し「事実ではない」と否定してきた。
消息筋によると、ソウルを訪問した柳副部長は、韓国の経済状況等について金正日キム・ジョンイル)総書記に報告したという。
柳副部長は、南北首脳会談を実現する見返りに経済的支援等を要求するのではなく、無条件に会談を行おうと提案する等、南北関係の改善などを積極的に建議したと言われている。
しかし、柳副部長に権力が集中することを警戒していた張成沢チャン・ソンテク朝鮮労働党行政部長たちから牽制され、最近粛清された李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長たち軍内部の強硬派の反発にも遭ったと伝えられている。
柳副部長は昨年1月、護衛総局の親衛隊に逮捕されたあとすぐに処刑されたと韓国の情報当局では把握している。一方の張成沢行政部長の一派は、昨年12月に金正日総書記が死亡した後、権力の中枢を占めている。
7月15日に実行された李英鎬総参謀長の粛清を主導したのも張成沢行政部長の一派だ。柳副部長の処刑後、南北関係はさらに悪化し始めた。昨年2月に南北軍事実務会談が開かれた際、北朝鮮軍の代表団は「これ以上対話を続けることはできない」と言って席を蹴った。対話派の立場が弱まる中で、軍部を中心とする強硬派が再び主導権を握ったためだ。
南北は昨年5月、再び非公開の接触を行ったが、成果は得られなかった。
柳副部長は2010年9月、金正恩キム・ジョンウン)氏が大将の階級章を付けたのと同じ日に上将に昇進し、保衛部でスパイおよび反体制派を摘発する「反探」業務を総括した。
柳敬副部長は金総書記に随時上申出来るほど重用され、保衛部の幹部の相当数も頭の回転が速い柳副部長に従っていたという。
しかし後継者の金正恩氏は、自分の人脈を保衛部に植え付けるために柳副部長のラインを間引く必要があったという見方が大勢だ。張成沢行政部長も、各種の情報を握って武装組織を率いる柳副部長を自分の「監視者」と見なし警戒していた可能性が高い。
韓国政府消息筋は

「柳敬副部長は後継体制構築の過程で繰り広げられた権力闘争で弾き出され、粛清されたと見られる。韓国側との接触そのものが、粛清の引き金になったのだろう」

と語った。

【階級について】
上将=韓国軍の中将に相当します。



※「親北勢力は胸に手を当てて考えて欲しい。もし、あなたの子供たちが食べ物に飢えて栄養失調になり、骨だけの痩せ細った体で勉強を諦め、市場のゴミ捨て場を漁っていたら、どんな気持ちになるだろうか。そうせざるを得ない社会に憧れを持つことなど出来るだろうか」
脱北者Aさん。脱北者手記集より)