もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/宝永一揆・松波勘十郎一件

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今、「あいすくりん」を食ってるんだぜ、奈穂子サン。

「あいすくりん」は奈穂子サンの時代に「あいすくりーむ」って呼ばれてるヤツだ。

黒船のヤツらが横浜に「あいすくりん」を持ち込んでな。そんで江戸にも伝わったんだ。

水戸にこんな綺麗な萩の花が咲くんですかい。

水戸藩は、ちょいと他の藩と違うトコがあったんでさあ。水戸藩には参勤交代が無かった。殿様はずっと江戸にいるんだ。だから水戸藩主は「副将軍」って呼ばれたんだぜ。

こういうのを「定府」っていうんでさあ、奈穂子サン。「定府」は「じょうふ」って読むんだ。覚えといてくんな。

頼房様、光圀様、綱條様。江戸詰めが三代続きゃあ財政は火の車だ。江戸の物価は右肩上がりだからな。そこでだ、綱條様は財政建て直しの「すぺしゃりすと」を水戸に呼んだ。

松波勘十郎ってオッサンでな。この松浪のオッサンはもともと美濃加納の鶉村ってとこで生まれた。松波のオッサンは11歳のときに家を飛び出してな。以来流浪の生活を送ってたんだが、その流浪の中で財政の知識を身に付けた。美濃の天領の検地を皮切りにいろんな藩の財政建て直しに腕を振るった。

ちょいと強引なこともする「辣腕」だったんで、たま~に雇われた藩で揉め事になることもあったが、まあ松波のオッサンが行った藩は軒並み財政建て直しが上手くいった。その腕前を見込んで綱條様は松波のオッサンを水戸に呼んだのよ。

松波のオッサンは藩士の数を減らすことから始めた。次に代官をその土地のお百姓にやらせた。これはな、代官の給料を節約すんのとお百姓にやらせることで年貢に責任感を持たせんのと二つ意味があった。あとは商人いっぱい水戸に呼んで商いで財政を建て直そうとした。

で、これが命取りになったんだが、松波のオッサンはな、水戸の産物を江戸に船で直送して売り捌こうとした。それでお百姓を大量に使ってな、まずは那珂川利根川を繋ぐ運河を作ろうとした。河を掘るんだ。しんどい作業だぜ。耐えきれなくなったお百姓は一揆を起こした。「宝永一揆」ってヤツだ。

綱條様は一揆の責任は松波のオッサンにあるって言って松波のオッサンをとっ捕まえて牢屋にブチ込んだ。松波のオッサンは牢屋で死んだ。

やろうとしたことは間違っちゃいねえんだがな、ちょいと強引でせっかちだったな。

「あいすくりん」もいいけど、羊羹も好きだぜ。

奈穂子サン、また。