もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/藤堂高虎

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オレたちの時代は「とろ」なんて食わなかった。

あんなとこは捨ててたんだ。

ま、時代が変われば食べ方も変わるんだろう。

藤堂和泉守高虎様。

権現様から信用されて伊勢津32万石を与えられた。津藩は伊賀一国に伊勢国の一部を加えた藩でな。立派な国持大名よ。

高虎様は7人の殿様に仕えた。5人目が大和大納言様(豊臣秀長)、6人目が太閤さん、そして7人目が権現様よ。

一人の武将が主人を変えるときってえのは、たいていが「もっと禄を食んでいい暮らしがしてえ」だとか「あの殿様はいけすかねえから」だとかいう身勝手からなんだがな、高虎様はちょいと違った。高虎様は「家来に腹いっぱいメシ食わしてやりてえ」って理由で主家をコロコロ変えた。

高虎様は奈穂子サンが思い浮かべるような「お殿様」じゃなかったんだぜ。いくさになりゃあ家来と一緒に先鋒に立って戦う。だから生傷が絶えなかった。

大和大納言様に仕えたとき、紀州で2万石与えられた。これでようやく高虎様も家来たちも暮らしが落ち着いたんだ。ところが大納言様が死んじまって、高虎様は浪人になっちまった。高虎様は「さすがに六度目はねえな」と思ったらしくて頭を丸めて坊主になった。

そこへ、太閤さんが「どうだ、オレの家来になるか?」って持ちかけた。太閤さんは弟思いだったからな。「秀長の家臣なら」って気持ちだったんだろうぜ。

高虎様は、今度は紀州から伊予に国替えになった。伊予板島8万石。板島はのちの宇和島だ。

このあとが、高虎様が嫌われる原因にもなったんだがな、太閤さんがからだの具合を悪くしてから権現様にすり寄ったんだ。豊臣家の情報を逐一権現様の耳に入れたんだ。

権現様はこの情報ってヤツを一番重く見た。それで関ヶ原のあと、高虎様は板島から同じく伊予の今治に20万石与えられた。さらには伊予今治から伊賀一国・上野22万石を与えられてとうとう国持大名になった。

ただ、悪評が多かった。「太閤さんにだいじにしてもらったクセに、徳川にすり寄るなんて」ってな。

高虎様も自分が後ろ指さされてるのをよォく知っていなすった。それでも高虎様は気にしなかった。「勝つ方に付かなきゃ、家来にメシを食わせらんねえ」ってな。

大阪の陣のあと、伊勢のうちに10万石加増されて津藩主になった。「家来に腹いっぱいメシ食わすため」その一念で高虎様は国持大名になったのよ。

高虎様が死んだとき、遺体を納棺した家来は泣き出した。高虎様の手足の指が欠けているのを見たからだ。家来と一緒に弓・槍・刀を取ったからこそ、手足の指が欠けたんだ。

「オレァ家来たちがちゃんとメシ食えるようにしたぜ」

高虎様は安らかな表情で黄泉路へ旅立った。

やっぱりオレァ「とろ」よりも赤身だな。

そのまま刺身で良し、ヅケにして握っても良しだ。

奈穂子サン、また。