もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/真田十勇士

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おいなりさんの中身が蕎麦ときゅうりかい?

笠間の人たちは面白えことするんだなあ。

真田十勇士

こいつは創作だ。

誰が思い付いたかなんてオレは知らねえ。大方、幕府と徳川家を気に入らねえ連中の創作だろうぜ。

ただ、ネタ元の話は実際にあった。

こいつは大坂の陣で先鋒を務めた藤堂和泉守様(高虎)から聴いたんだがな、どうも後方の陣が騒がしくって様子がおかしいってんで物見(偵察)に行かせたら「浅野様裏切り!黒田様裏切り!」ってデマカセ大声で言い触らしながら駆け回るチビスケがいたって言うんだ。このチビスケが猿飛佐助の「もでる」になったんだ、奈穂子サン。

奈穂子サンの時代に伝わってる「真田十勇士」は坊主あり、剣客あり、忍者ありなんだろうけど、実際は忍者だった。「浅野様裏切り!」ってデマカセ大声で言い触らしながら駆け回ったチビスケも忍者だ。

真田の忍者使いは武田に仕えていた頃からだからな。権現様が服部半蔵様を使って伊賀越えした頃よりもずっと前からのことよ。

真田十勇士」は家光公の頃に生まれた。もちろんこんなのは空想の産物よ。家光公の時代はたくさん大名を取り潰した。いっぱい浪人が出て、幕府や徳川家をやっつけたいと思う連中がたくさんいた。張孔堂(由比正雪)なんかがいい例だな。

真田十勇士」はそんな時代に生まれた。たまたま豊臣寄りだったてえだけで暮らしを奪われたり、いのちを奪われたりする。納得行かねえ不平不満から「真田十勇士」は生まれた。

この頃から家綱公の初期にかけて、浪人はどんな眼で見られてたか。御大老の酒井讃岐守様(忠勝)は「浪人など、ゴミ同然。あるだけ迷惑」なんて言いやがった。確かにな、張孔堂のオッサンが紀州様(徳川頼宣)とつるんで謀反沙汰をしでかすまでは幕府も浪人連中をゴミ扱いしてた。張孔堂の一件があって、幕府もようやく浪人を「ゴミから人間」として扱うようになった。

「オレたちはゴミじゃ無え!いのちがあるんだ!!」

真田十勇士」はそんな不満や怒りから生まれたんだ。

浪人の扱いは肥後守様(保科正之)がガラリと変えた。「浪人も人間」肥後守様はそう言った。

これ以降、浪人が謀反沙汰を起こすようなことは無かったが、「真田十勇士」は残った。そして奈穂子サンの時代まで語り継がれたってえワケよ。

おいなりさんの中身をおからにしてもイケるんだぜ。

奈穂子サン、また。