もずの独り言・はてなスポーツ+物置

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奈穂子様/松平斉宣一件-幼児殺害事件-

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ほうれん草の胡麻和えに小松菜の煮浸し。

おせちは3ヶ日のお楽しみよ。だから今は手ェ付けねえ。

胡麻和えも煮浸しも冷や酒に合うんだぜ。

松平兵部大輔斉宣様。

こんなトンチキのバカ殿に「様」なんて付けたかァねえんだがな、何せ家斉公の御実子だ。バカでもトンマでも「様」付けしなきゃなんねえ。

このトンチキ坊ちゃんは家斉公の53番目のガキでな。ま、奈穂子サンが驚くのも無理はねえやな。家斉公は55人のガキがいたんだから。

で、そんだけ作ったガキの始末に苦労した。姫君は銭といっしょにお大名に押しつけた。「嫁にもらってくれ」ってな。

で、坊やのほうはこれまたお大名に養子に出した。お大名にとっても将軍の実子をもらうのは悪い話じゃねえからな。その子が跡を継いだとき、家格が上がるからな。

トンチキ斉宣様は明石藩を相続した。

明石藩は6万石。このとき、幕府は気を利かせて明石藩に2万石加増した。ところがトンチキ坊ちゃんは「国持にしてくんなきゃイヤだ」って駄々こねた。「国持にしろ」ってえのは「10万石にしろ」ってえ意味だ。

あと2万石。でもその2万石を幕府は用意出来なかった。しょうがねえから「明石藩は8万石だけど格式10万石」ってことにした。

「格式10万石」の家は他にもある。喜連川(のちの足利家)は5千石でも「格式10万石」、対馬の宗家も3万石だけど「格式10万石」だった。ただな奈穂子サン、この両家は「特例中の特例」だった。

その「特例中の特例」をトンチキ坊ちゃんは無理やり認めさせた。幕府だっていい迷惑だったろうにな。

トンチキ坊ちゃんは明石藩を相続してすぐ、とんでもねえことをしでかした。

参勤交代の道中、尾張藩の領内で3つの坊やが明石藩の行列を横切っちまった。こんなのは普段ならその場で藩の役人が坊やのケツを棒でひっぱたいて「はい、おしまい」なんだがな。何を思ったかトンチキ坊ちゃんは「無礼者!許せん!!」って坊やを陣屋に引っ張って行った。

そりゃ尾張藩の領民は大騒ぎよ。「殺されちまうんじゃねえか」ってな。

坊やの父親は源内っていう猟師でな。源内は騒ぎを知って陣屋に駆けつけた。でもよ、陣屋の外に斬られた坊やのオロクが転がってたのよ。

源内だけじゃ無え。尾張藩の領民、みんな怒った。で、尾張藩には苦情殺到よ。「明石藩を許すな!」ってな。

尾張藩もあまりの苦情に放っとけなくなって明石藩に「今後我が藩の領内の通行を禁ずる」って通達した。

それでも、親父の源内の怒りは収まらねえ。

源内は次の年の明石藩の参勤の行列にトンチキ坊ちゃんの駕籠を見つけると「息子の仇!」って怨みの一撃をぶっ放した。これでトンチキ坊ちゃんはハタチでこの世を去ったのよ。

もちろんこんな死に方がバレたんじゃ明石藩はお取り潰しになっちまうからな。トンチキ坊ちゃんは病気で死んだことにして幕府に届け出た。

トンチキ坊ちゃんは「余は将軍の子なるぞ」って驕ってやがった。だから3歳の坊やを斬っても許されると思った。どうしようもねえバカ殿だぜ。

子供は宝。

そいつはオレたちの時代も奈穂子サンの時代もおんなじだ。

奈穂子サン、また。